1月27日は予想に反して大雪になってしまいました。雪にはまったく弱い我々は永田氏の車1台に岩田会長、永田氏、伊藤君、瀬谷君、私と、そして途中長靴姿もりりしい川上健次顧問、根がかりの小嶋さんの合計7名、(現地で合流の山田氏は電車)を乗せ、雪のしんしんと降り続くなかを一路、下田大兄の鎮座まします所沢は、「ぶんぶく」に向けひた走り続けました。しかし川越街道に入ってから渋滞は更にひどくなり案の定到着は6時を過ぎてしまったのです。
到着するやいなや下田香津矢大兄率いるその名も高き「全日本暇人協会」の面々は、遅れている我らが到着するまでは、と着座することもなく全員起立のまま迎えてくれたのでした。さすがは渓流界きっての硬派、規律正しき「暇人」達。新潟に行かれていて、どうしても帰京不可能な細山長司氏を除いて、前日の何がなんでも出席しろよ、と電話を掛け捲った下田大兄の心意気に感じたか、はたまた脅迫に近い勧誘に恐れをなしたか、瀬畑翁をはじめ意外と出席率がよろしい。外は大雪、何時電車が止まるとも分からないが、その時は泊まるところはいくらでもある、と日頃鍛えぬかれた渓の猛者達、酒さえあれば恐いもの無し。
今回「全日本暇人協会」最初で最後になるともいわれる会報を出席者に配布されたが、苦労の跡の見える会報でありました。多少の誤字はご愛嬌。一冊一冊下田大兄自ら題字を毛筆をもって書かれた由、貴重な会報となっております。
瀬畑翁、川上根がかり会長(当会顧問)、当会会長岩田の挨拶と、一通りすませたあとは毎回の如く下田大兄や、最近多少弱くなったとはいえ川上顧問、横浜の渡部さん(宇都宮渓遊会)達の独壇場。飲む飲む、歌わない。私が飲みたくて土産に持参した浦霞の純米酒2本はいつのまにかわずかに底に残るのみ。
いつもだったなら宴会は何時終わるとも知れず、となるところなのですが、車で帰る我ら渓道楽の面々は、運転をする為酒を一滴も飲まない伊藤君に遠慮し、瀬畑翁がご退出に続き帰ることにいたしました。その時、渓の猛者、川上健次顧問は何を勘違いしたか、はたまたこのまま捨て置かれると心配になったか、私めに向かって“おいてかないでえ〜”と懇願するようにおっしゃられたのです。いつも渓では“おいてくぞ”と脅されているわれ等、この時とばかり、・・・・・・・・・モニョモニョ・・・・・・とは言えなかったのです。(モニョモニョを好きな言葉に換えてください)
渓流界広しと言えども川上健次顧問に“おいてかないでえ〜”と言わせたのは私ども以外にはないものと自負する今日この頃です。
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