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小峰さん、よしみさんちの鴨鍋会

2001年3月24日

Text&Photo:渡辺健三
 

またもや「只のよっぱらい」で括られてしまった私であった。

3月11日 啓蟄もすぎ、穴から這いずり出でて、浮かれ狂った虫の如く傍若無人に振る舞ったあげく、またもや括弧つきの酔っ払いになってしまった。
しかしね、言い訳する訳じゃないんだがね、しょうがないじゃない。―――――――
酒が、酒が、料理が、料理が、うますぎる、良すぎる。――――――――――
定刻の午後2時にはすでに皆さんお集まりになっており、私が高円寺のモアについたときには料理も並べおわっており、始めるだけとなっていた。
最初に出された酒がいけない。なにも狂った責任は私だけにあるわけじゃない(酒飲みの開き直りの責任逃れか?)。――

まああ、聞いてくださいよ。最初は決して意地汚く飲み食いすることは止めよう、と心に固く誓って来たのですから。 小峰さん、よしみさんの友人として誘っていただけているのだから、まして良識ある糖尿病患者としては、強固な意志をもって自己コントロールを行なっている好ましい人、との印象を初対面の方達に与えなければならない、と思ってましたよ。
しかしね、よしみさんや遠藤シェフのお作りになった料理の数々。
最初はよしみさんの料理からニシンを軽く焼き上げたもの、なかには数の子が腹一杯に詰まっています。
「健さんは半身の半分だな。食べていいのは。」小峰さんがコントロールのたがが外れないように釘をさしてくれます。
私の目の前には焼き鳥と椎茸を甘辛くたれにつけたような料理の皿があります。小峰さんがしょっちゅう箸を出しております。私が食べられるのは椎茸だけだな、と横目で眺めておりますと、「これヤマドリだよ。うまいよ。」 と小峰さんが説明し「食べてみな」、と勧めてくださる。
私はてっきりヤマドリというのは山にいる鳥達の総称であって、一品種の鳥の名称だとは思いも着かなかったのです。「これはなんなの。ヤマドリといってるが、キジなの山鳩なの」、と変な質問を繰り返すのみでした。
「ヤマドリだよヤマドリ」。
「だからなんの鳥なのよ。」
「ヤマドリはヤマドリ、キジなんかよりずーっと美味いんだから。」
小峰さんが「ヤマドリのなんとかかんとか〜〜」、と和歌を披露なさるも悲しいかな、教養薄くまだぴんとこない。
「これがハツ(心臓)、これがレバー(肝臓)、こっちのほうが美味いよ」と勧められ、箸を付けるとこれがそこそこの歯ごたえとともに脂肪も無いのに口にとろけるよう。
このあたりから私の自制のたがが緩みはじめた。
決定的になったのはここで出てきた酒がもたらした。

其は、越前加賀の庄、かの知る人ぞ知る幻の酒。 大吟醸酒「菊理媛」(くくりひめ、とよむ)15年の間、ご当主、柳氏が厳選して冷蔵庫にて寝かせたこれぞ逸品。
石川県加賀一の宮、鶴来町にある菊姫合資会社の幻の酒、はるか室町の古より、数百年脈々と造り続けられた幻の酒。それは特に厳選された吟醸酒、菊理媛、かの地の白山日盗_社より授けられし僥倖か。それが目の前にあるのである。これを飲まなくて何の酒のみぞ。
これが出てきた時、遠藤シェフと小峰さんのお友達の二人の顔色が変った。


「これを飲んでもいいんですか。」
「いいよ、ここに有るとどんな酒でもよしみさんが煮酒に使っちゃうからね。全部飲んでいいよ。」小峰さんのこの一言は酒飲み達に狂気をもたらすのに十分だった。
私もお二人の表情の変化を敏感に読み取った。
酒飲みは酒飲みの心を知る。
狂気が宿る瞬間をしかと確認したのだった。マタタビを突きつけられた猫のように、不敵な微笑を浮かべたのを。
これで私には自制のかけらもなくなった。 (の,飲まねば、ねば,ねば ねば〜〜。)悲痛な叫びが脳内をこだまするのであった。
この後は古人のたどった道を我らもたどるのみであった。すなわち、君に勧む更に尽くせ一杯の酒、酒,酒―――――

酒飲みの戯言と笑うことなかれ、我が先達たちも同じような時間を過ごしたのだ。陶潜(陶淵明)は千七百有余年の昔、私達の今日があることを知っていたかのように詠っている。

我閑居して喜び少なく,兼ねてこの頃夜すでに長し。偶々名酒あり、夕べとして飲まざる無し。影を顧みて独り尽し、忽鳶として復酔う。
若し復快飲せずんば空しく頭上の巾に負かん。但恨むらくは謬誤多からんを。君當に酔を恕すべし。
小峰さん、よしみさん、君當に酔を恕すべし、です。謬誤多からん、は御免なさい。中国の大詩人も、私の無節操な大酒のみの弁解に使われるとは、夢にも思っていなかったでしょうから本筋に戻ります。陶潜はいい詩人だ。

このあたりから本日のメインデッシュ、カモのしゃぶしゃぶ。 正直野カモも初めてならば、カモのしゃぶしゃぶというのも初めてでした。想像していたカモ鍋は鋤焼き風に味付け濃くした食べかただと思っていたものでした。それが油が全くといってもよいほどない。


これはカモに対する私の持っているイメージを一新させるものでした。私は仕事柄、以前中国よりアイガモを輸入していたことがありました。 その当時、サンプルでずいぶん食べたものでしたので、カモは油だらけ、油がものすごい量でたことが印象に残っております。
この頃には「菊理媛」は残りわずか。
更に出てきたのは、同じく菊姫の山廃仕込み、これがまたすばらしい。山廃独特のこくのある仕上がり。 「菊理媛」のようなすっきり感のある酒を飲んだ後には、特に癖が強く感ぜられたが、飲むうちになんともいえない「こく」としてからだに溶け込む。
こうなってはもう後の祭り。一升瓶を抱きながら飲む。酒が温まるからよこせ、と取り上げられるまで離さない。酒飲みの意地汚さを丸出し。我ながら恥ずかしい。この後はもうかつ飲み、かつ食い、止まるところ無し。どこに糖尿患者が居るのだ。

2,3日後、小峰さんより一喝を喰らった。「ただ酒は浴びるほど飲め、とはいうけれど、べろんべろんになるまで飲むな。泊まってけ、と言おうかと思ったぞ。」
恐縮するばかりで、よしみさんに電話すると。「大丈夫だったあ〜」と明るい声。
それから数日経って、お菓子を持って先日の無作法を詫びるべく訪問した。
事前に電話をかけ在宅を確認して行った訳ではないので、調度彼らの食事中になってしまった。 高円寺のカレー屋さんだかがビーフシチュウを作ったので持ってきてくれ、食べている真っ最中に行き当たった。
「まったくいい鼻しているな。こういう美味いもの食っている時には必ず来るな。まあ食べてみなよ。」と機嫌良くおすそ分けをくれた。
「酒は今日は止めだな。」と酒はビールもなしでウーロン茶。
あ、やっぱり怒っている。
それでもその後遠藤シェフのやられている「杏の木」に3人して飲みに行った。私もビールを一杯ご馳走になり、御満悦になったところで小峰さんから、「これ以上飲むと止まらなくなっちゃうからね。」と釘をさされた。

明日からよしみさんは博多で韓国食品の会社を経営しているセイちゃんと韓国旅行に出かけるという。小峰さんは明日から羽が伸ばせるぞ、と強がっているが、
「羽、伸ばそうと思ったら羽がないんだよね。お願い、片羽だけでもいいから置いてってくれない。」と懇願している。よしみさんは一切無視。
まあ、体重100Kgを越える巨体を支える羽じゃ、そんじょそこらの羽では役にたたないだろうから、置いていかなくて正解だろうね。
今は一人でどうしているやら。羽が無くてしょぼんとしているかな。そんなことはないね。あの人に限っては。
ああ楽しい人たちだ。またご馳走になりに行こうかな。


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