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山菜教室

平成13年5月12日〜13日


 
Text :渡辺健三
Photo:渡辺健三、中村敏之

 ここ1〜2週間体調が悪くて、どうも悪質の風邪にかかってしまったようだ。先週の岩手遠征でも半分釣り、半分療養のような山菜取りでお茶を濁していたのだが、おかげでめったに取れないハリギリが大量に取れたおまけがついた。いいのか悪いのか。病気がはだしで逃げていくような、渓の猛者たちと比べるとなんとも軟弱なのは情けないが、まあ中にはこんなのも居てもいいかと自分で自分を納得させる。
 長い人生やっていくうちには、照る日曇る日、フリーになったわが身を振り返り、これも綴られる一生を彩るうちの1コマさ、と強がりを言っていないと、ドドーと落ち込みそう。
 ところで、岩手ではそんなに多くは取らなかったが、目に付いた限りでもハリギリ、タラノメ、ハナイカダ、ヨブスマソウ、コゴミ、モミジガサ、ヤブレガサ、ニリンソウ、ユリワサビ、と数多くの山菜が目に付いた。コシアブラが見つからなかったのは、なにか時期的なものか、地方性があるのかわからないが、不思議に感じた。それからウルイが少ない代わりにコバイケイソウが多かった。気をつけないと危ない。
 5月12日、今回の小峰さん、よしみさん主催の山菜教室は初めての参加なので一寸様子がわからず不安であったが、あたらしい友人ができるのは嬉しいことなので参加させていただいた。中村氏の危険な愛車インプレッサに千葉の田中氏、病弱な私を乗せて集合場所石打インターSAに向かった。とすでに胎内川でひろわれた、ウワバミガールスの奴隷と化した石井さん、菊地さんが先着していた。そして順次メンバーが到着し始めてくると、交友範囲の広い小峰さんらしく音楽、カーレース、釣り、近所の知り合いのお姉さんと多彩な人たちが集まってきた。
 ここ数日の悪天候がうそのように、さわやかな五月晴れが清津の渓を訪れていた。色とりどりの花に囲まれた季節の中、古の昔、中国の伝記に出てくる桃源郷のような津南町、秋山郷の景色が目に飛び込んでくる。私は日本の田園風景はアジアで最も美しい風景だと思っている。行ったことは無いがヨーロッパの田園風景と比べても決して遜色のあるものではないと確信している。
 美しい風景の中、釜川上流のコテージに向かう。コテージは側面に池を配し、遊歩道が整備されている。前面はまだ田植えの行われていない棚田があり、その水面が鏡のように周りの風景を映し出している。
 ここで危険な乙女の集団率いるよしみさんの一寸ハードなコースと、小峰さん率いる楽したい集団、まったりコースの二班に分かれて山菜採集へと向かった。
 当然私は病弱故、まったりコースへと参加させていただいた。最初行ったところが地元一般の人たちも多く採集にくるので、全くといっていいほどめぼしいものは見つからなかった。ミツバアケビの新芽を人海戦術で数多く取ることには成功したが、メインデシュに使用するコシアブラが少ないのだ。コシアブラの木を探して林の中を探索するうち太い大きな白木が目に付いた。幹の径10cmを超えるかとも思われるその木はまさしくコシアブラの木だった。しかしあろうことかその木は、根元より1mそこそこのところで鋸目も荒々しく断ち切られていた。何かに利用するために切られたのではないことは一目瞭然だった。もともとこのウコギ科の木は、タラノメやハリギリと同じく木材としての利用価値は低い。ただ山菜として美味ゆえに受難の生涯を送らなければならなくなった。ハリギリはいまでは探すに難しくなり、タラノメに至っては一番芽、二番芽まで根こそぎむしりとられ、なかには採取のため枝は折られ、立ち枯れたまま無残な姿をさらしているものもしばしば目に付く。
 私事ながら齢50を今月迎えた。人並みだったかはわからないが、それなりの悩みや苦労を抱えながら、愚鈍な生活を送り続けてとうとうこの年になった。特に50という節目が、私の自然観や人生観に新たなページを開くように劇的な変化をもたらしたとは思わないが、不思議と空気に透明感を感じるようになった。こうして書いている目の前には、ムクドリの番がわずかの間も惜しんで、雨戸の戸袋のなかに作った巣にえさを運んでいる。中には4〜5匹のヒナがいるのだろう、親が帰るとかまびすしく泣き叫んでえさをねだっている。親は親として、子は子として自然の営みの中で与えられた生を楽しんでいるように見える。ムクドリの親がヒナを思う慈しみの心と、ヒナが親を慕う心に人間も動物も植物もすべて命あるものに差が有るのだろうかとそんなことを思っている。透明な空気の先にムクドリの親とヒナの命がある。無意味に立ち木を伐採したり、痛みを与えるだけの釣りはしたくないと漠然と思うようになった。無駄な痛み、命を奪う行為からは何の感情も感じられない。他の命を頂くことにのみ我らの命が育まれるのなら、他の命を食物として我らの命のなかに溶け込ませてのみ、同じ日の光の中で喜びを感じられるのではないかと、そんな風に思いたい。
 私が観察していることで他の危険な鳥や動物がやってこないのを見ると、親鳥たちは私をボデイガードがわりにしたたかに利用しているようだ。それでもいいか、とそんなことを考えながらムクドリのヒナの成長を親鳥と共に眺めている。

 コシアブラはもともと山里の人たちの間では食用にはされていなかったと聞いている。渓の先達たちがその旨さを知り、調理の仕方を工夫して食材として重宝したのが一般に広まったと教えていただいた。事実ならば我ら渓に遊ぶ者はコシアブラの木に不倶戴天の敵として恨まれているかもしれない。源流域にコシアブラが少ないのは幸いと思わなければならない。命をかけた高巻きやヘツリの時、一瞬掴んだその木がコシアブラだったなら、彼らが我らの体重をささえ、手がかり足がかりとして助けてくれるとは限らないだろうから。
 車で移動と停車を繰り返しながら、小峰さんが目ざとくコシアブラやタラノメをみつけては採取してゆく。私も数本のコシアブラの大木を見つけ十分な量の新芽を採取した。
 次に移動した所は砂利の採取場所なのか、大型のダンプや建設機材が置かれた脇を通過して川の湿地帯に入っていった。ここではオランダガラシの群落があり遠藤シェフが中心となって十分な採取ができた。

 この群落から数分のところの急斜面にウド、ウルイが無数に生えており、又その脇にわずかな水が流れていた。その岩の下から沢蟹がはいずり出していたので、小峰さん、清津の若大将滝沢さんたちがまるで童心に戻ったかのように捕まえていた。
 私は斜面から滑り落ちそうになり大量の土砂を落としてしまった。そうして足場を確保してから自分が落とした土砂の後を見やると土砂の中に隠れていた白い太いウドが出てきているのであった。生で食してもやわらかく美味しそうなウドなのである。
 こうして十分な山菜も沢蟹も確保することができた。後は遠藤シェフの出番である。手際よく食材は遠藤シェフの指示の下、皆さんで処理してゆく。女性陣は日頃男達のわがままを許して頂いているので、今回はなにもせず温泉でも浸かってきて下さい、という粋な計らいで更に麗しき美貌を磨きに温泉に行ってしまっている。
 私の回りでは既にビールの栓は抜かれ、特に計量カップにするからと日本酒のコップ入りが私に渡される。ビール、日本酒を頂きながら早くも貴重なここでは名前も明かせないような焼肉が焼けてくる。魚のすり身に木の芽を新潟NHKの美人デレクターが混ぜ込んで揚げてくれる。どうしてこちらは美味珍味、美女好男子ぞろいなのだろう。かわいそうな会長達、と一人笑いがこみ上げてくるのでした。
 磨きのかかった美女の団体のご帰還と共に宴会は始まった。いいかげん出来上がりつつある私に乾杯の発声のご指名があり、続いて参加者の紹介と我ら渓道楽を筆頭にさせていただいたのは身に余る光栄でした。後はやんやの大宴会。


 酒を飲んだことを暴露したミルキー中村がミルキーボーイズ追放の憂き目に会い、一人追放ではかわいそうと、同じくミルキー安河内氏に酒を強要したのでしたが頑としてミルキーを通されてしまった。ここにミルキーボーイズ壊滅、トーニョーボーイズ設立の私の野望は露と消えてしまったおまけがつきましたが、ここだけの話、小峰さんはトーニョーらしいよ。(後で検査の結果、トーニョーではないと本人はおっしゃられておりますが、真偽のほどは定かではない。)


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