HOMEBACK
有難き山の精

山形県最上川水系白川

平成13年7月25日〜27日

山田義正、渡辺健三





Text&Photo:渡辺 健三

 ここ飯豊山、北股岳、大日岳の山域には数々の名渓、秀峰が存在する。
 大石川、胎内川、加治川とぐるり新潟県を通過して、いまやホームグランドのようになった長走り、実川(裏川、前川)。そして福島県に入り奥川、一の戸川とやさしい川が続く。2年前に梅花皮沢を釣りのぼり、石転びの出会いで見た大雪渓のパノラマは圧巻であった。

 今回の川は飯豊の東の登山口大日杉小屋を出発点とする白川源流。案内をしてくれるのは渓道楽の中でも比類なき健脚の持ち主、山田義正だ。彼と一緒に山行きできるのは休日が合わないことも有り数少ない。
 彼の人となりを少し紹介しておくと話が面白いかもしれない。彼は数々の伝説を作り出している。健脚でとにかくどこまででも歩く。天下の剣谷、朝日岳を源とする朝日川へも、麓より車を使うこともなく歩き続けて源流へと向かう。
 渓道楽に入ったきっかけがまた面白い。朝日鉱泉へと車を飛ばしていた当会岩田会長が、黙々と歩き続ける山田と遭遇した。麓より歩いてきたと聞き度肝を抜かれ、同乗させ知り合いとなった。以来涼しい顔ですたすたと歩く彼を形容して「スタスタ山田」との異名をつけた。会発足時より会員として一目置かれている。
 彼は単独での山行きが多い。ザイルワークにも習熟しているのでどこでも臆することなく入渓する。また奇を衒うわけでもなく同じ渓で星を眺めながら数日を過ごす。魚に対する執着も極めて薄い。キープすることは千に一匹ぐらいかもしれない。食を楽しむわけでもない。酒も飲まない、タバコはすう。山菜を知らない、キノコなどまったく論外。食事は米を飯盒で炊いてレトルトのカレーを温めるだけ。人が作った料理は美味しそうに食べる。朝飯は食わない。行動食にアンパンをかじる。それでも渓での遡行、高巻きのときのスピードは異様に速い。あの細身の体からどこからそのようなエネルギーが出るのか不思議なくらいだ。我が渓道楽のなかで強面をきどる面々でも、せいぜい今の彼と比べれば幼稚園児並だろう。
 こんな調子だから山での食を楽しむという事がないのですこぶる面白くない。わき目も振らず歩くので、美味しそうな山菜、キノコ、山の果実を見逃す。散々な目にあうことが多い。
 服装に無頓着でいつもニコニコしている彼ではあるが、悲しい思い出をふっと私に洩らしたことがある。以前は何時も行動を共にしていた渓の友人がいた。その友人は山田以上に渓で食事も取らず酒ばかりかっくらっていたとの事。そしてとうとう肝臓を痛め帰らぬ人となったと。彼の黙々と歩き続ける後姿は、亡くなった友に対する鎮魂なのか知る由もないが、私の回りでも酒好きの渓好きは多いので、心して親近者を悲しませることのないよう心がけていただきたいと切望する。
 ようするに、彼は渓にどうも比叡山の修行僧が千日回峰をするように、あるいは修験者が山ごもりするかのようにきている、と思えるのだ。

 7月25日、大日杉小屋に到着したのは夕方も6時を過ぎていた。どうしても今日中にテン場に着きたいとの思いから、小屋に泊まればとの迷いもあったが出発することにした。私には大きな不安を抱えての出発となった。先を急ぐあまり途中で準備するつもりでいた行動食を含めた食料が、気がついたときにはすでにコンビニ一軒とてないところまで来てしまい買えなかったのだ。糖尿病という持病を抱える私は、山田と違いこまめなエネルギー摂取が必要で、渓での遡行では食べられないとすぐにガス欠を起こす。まして夕方6時から7時ごろは、朝7時に打ったインシュリンが最もその効果を発揮して血糖値が一番下がる時だ。一抹の不安を抱えながらの出発となった。
 ザックを担いで10分も経たないうちにじわじわと低血糖の症状が現れ始めた。目がかすみ始め足に力が入らない。それでもしばらく我慢をしていたが、夕方7時に近くなるとあたりが暗くなり月明かりが取って代わった。それと共に目がかすみ足元がおぼつかなくなった。失敗をしたと思った。大日杉小屋に泊まるべきだったか、と。
 細い仙道をおぼつかない足取りでたどってゆくうち、体がふいに左右に揺れた。その瞬間、反動を不思議に調整できなくなり頭から谷に向かい落下した。こめかみをしこたま木の枝に打ち付けて我に帰り必死に枝にぶら下がった。
 ふらふらしながらやっとの思いで仙道に這い上がることができた。心配して戻って来た山田に何か口に入れ、血糖値を上げないと危険な状態だと告げた。数十メートル先に水場があったのですぐさま非常用のパンに噛り付いた。ただのパンを齧っただけではすぐに血糖値も上がるわけもなく危険な状態は続いたが、とにかく少しでも明かりのあるうちにテン場に着こうと、山田に足元の状態を刻一知らせてもらいながら歩くことにした。
 どうやらテン場の近くまできたようだが、すでに日はとっぷり暮れ、テン場とする沢には急な斜面を降りていかなければならなかった。あたりは真っ暗となり月明かりさえ樹木にさえぎられて届かない。私にはテン場までどのくらいの急斜面を降りるのか皆目見当がつかなかった。
 先に山田がテン場を確認しに先行し、ザックをおいて戻って来た。私はヘッドランプを点灯し角度もわからない斜面を潅木につかまりながら下降した。
 やっとの思いでテン場に到着し飯の支度にかかったが、時間ははすでに9時半を過ぎおかずはレトルトカレーを温めてかけるだけとなった。それで一心地をつけ、持参の焼酎をストレートで喉に流し込み、明日に備えて眠ることにした。
 しんしんと月明かりが沢を照らしている真夜中12時を過ぎた頃、突然目が覚めた。寒い、異様に寒い。連日40度を超える猛暑なのに、いかに高山とはいえ寒すぎる。通常この時期シェラフなどは必要のないものとして準備してこなかった。あわててカシミヤのセーターを着込み、フライシートを体に巻きつけて寝ることにしたが、熟睡ができない。少し寝入っては寒さで目がさめ、焼酎を喉に流し込む。その繰り返しでそのまま朝を迎えた。
 私は昨晩の寒さが低血糖によるものではないかと不安だった。だから朝飯はしっかり食べるつもりだった。山田はいつものように食わないという。
 私は食わなければどうなるか分からないので、とにかく山田に待ってもらい昨晩の残り飯に卵を溶かし雑炊にし掻き込んだ。それでもこれからのハードな行程に、これだけではシャリバテを起こしそうで不安は続いたが、しようがなくその後はこまめにパンを齧っていた。
 早朝6時にはテン場を後にし今日中に魚止めまで釣りきる予定で出発した。
 相変わらず山田の足は速い。私も決して遅い方ではないつもりなのだが、昨晩の低血糖は私を臆病にし競うことをためらわせた。
 にしたき沢、ひがしたき沢、こぐら沢と釣らずに走破し、途中幾つかある7〜8mの滝をごぼうで高巻く。山田の健脚ぶりは相変わらずだ。

 かれまつ沢を過ぎたあたりから竿を出し始めたがあたりはない。山田は川虫を捕まえエサにしていたが魚信は同じくない。そのうちトンボをぶら下げて水面をたたき、魚の出かたを見ていたがあい変わらず音沙汰なしだ。
 四つ森沢を過ぎたあたりで4mほどのいやらしい滝に遭遇したが、体重の軽い山田をショルダーで持ち上げ、ザイルをたらしてクリアーした。
 ここで昼食に程よい時間となったので休憩とした。珍しく山田がスパゲッテイをご馳走してくれるという。それならありがたく頂くことにし、できるまでカロリー不足の私は岩魚釣りに没頭することにした。
 岩魚を食いたかった。岩魚はカロリーが高い。一匹食うと元気が出る。山の精が凝縮したのが岩魚なのかもしれない。うまいぐあいにすぐ前方の溜まりで8寸強の岩魚が掛かった。すぐさま〆て焼きにかかった。塩もなく半生だったが齧り付いた。ほんの数分前まで悠々と泳いでいた岩魚がいまや獰猛な獣と化した人間に齧り付かれているのだ。
 そのうち山田のスパゲッテイも茹で上がり、マヨネーズをぶっかけただけの代物だったが、有り難くいただくうち岩魚の精と相まって活力が回復するのが感じられた。
 体力の回復した私と山田はこまめに探りを入れながら七森沢まで釣りあがり眼前に稜線が見える所まで来た。最後に魚止めの滝の釜に竿を振るもわずかに9寸ほどのが一匹かかっただけで、飯豊の神様は必要以上の栄養を私にはくれないようだった。
 今回の釣りの目的はこれで達成したわけで明日はすることもない。また一晩あの寒さの中でまんじりとしないですごすのはつらい。それでは帰ってテン場を撤収し、あたたかな温泉を目指し、尚且つ不足したカロリーを充填すべく旨い物を探しに行こうということで意見が一致した。
 様々な個性をもつ心やさしき男達との山行きは、心休まる快適な時もあれば、一転悲惨な気候条件のなかでつらいばかりの時もある。それでも飽きもこなければ、嫌気もささず、望むらくは永遠にこの時間が続いてくれればいいと願っている。


 HOMEBACK