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埼玉県荒川水系入川

2001年8月11日〜12日

中村敏之、伊藤智博、高野智





Text :高野 智
Photo:中村 敏之、高野 智

 甲州、武蔵、信濃の3つの国にまたがるところから名づけられた奥秩父山地の甲武信ヶ岳(2475m)。荒川はその峰より流れ落ちる雫に源を発し、173kmもの距離を流れ下る。
 埼玉に生まれ埼玉で育った私にとって、最も身近な大河は荒川だった。子供の頃は父に連れられ荒川に魚を捕りに行ったり、荒川土手のサイクリング道路を自転車で走ったりもした。大人になってからも荒川上流部の秩父は良く通った場所だった。中学、高校の頃は自転車で奥武蔵の峠を登り、自転車がバイクになっても秩父は身近な存在であった。そして渓流釣りと出会い、再び荒川と接するようになったのである。
 ただ、釣りを始めて分ったのだが、秩父の渓は荒れていた。ほとんどの山は植林され、渓は堰堤だらけ。そんな渓では渓魚達もたいして釣れないことが分ると、私の目はまだ手のつけられていない自然が多く残る東北の渓へを向けられるようになったのである。
 だが、ふと気がついたら荒川源流部という最奥の流れには足を踏み入れたことが無かった。ガイドブックには頻繁に紹介されているし、かなり険しい場所もあるようだ。やはり源流部でも水は少ないのだろうか。森は植林されているのだろうか。これは実際にこの目で確かめに行くしかない。

 荒川源流部とはどこからなのか。私は秩父湖以遠をそう呼びたい。秩父湖から先は大きく分けて3つの支流が流れている。大洞(おおぼら)川、滝川、入川である。どの渓も奥は深いのだが、滝川は最近国道140号が雁坂トンネルによって山梨と繋がり、アクセスがかなり便利になってしまった。また、その工事によって大量の土砂が滝川に流れ込んだとも聞いている。大洞川も林道が渓にそって続いている。唯一車の通れる道が無いのが入川である。入川こそ荒川本流であり、甲武信ヶ岳から流れ落ちる最初の一滴から大河荒川が始まるのだ。

 私たちが住むさいたま市からなら入川の車止めまで3時間もかからないだろう。東北に比べれば楽勝である。2時過ぎに出発して5時には車止めに立つ3人の姿があった。今回のメンバーは、このところ沢登りの会にも入会しメキメキと力をつけてきた若手、伊藤君。例年にないペースで源流行をこなす中村氏。そして今年も例によってあまり釣りに行っていない私の3名である。

 日帰りで赤沢谷を釣るという釣り人を見送り、我々もザックを背負い車止めを5時半に出発する。お盆の連休なので多くのパーティーが入っているものと覚悟してきたのだが、他には誰も居ない様子。
 林道のゲートを抜け管理釣り場の流れを横目に見ながら、ゆっくりと歩いて行くと、やがて林道から登山道に入るところに差し掛かった。情報によるとここから赤沢谷の出合まで森林軌道の跡を辿るらしい。

入川森林軌道跡
錆びたレールが寂しげに土に埋もれていた

 かつて日本各地に存在した森林鉄道。今では全て廃止されてしまったが、その名残を21世紀に入った今も見つけることができる。
 この入川の森林軌道は終戦直後の昭和23年から昭和45年まで運転されていたらしい。小さなディーゼル機関車が木材を満載したトロッコ2両くらいを引いて走っていて、出発点は秩父湖上流にある栃本だったようだ。
 しばらく歩くと細くか弱いレールが姿をあらわす。それは30年という歳月によって、半ば土に埋もれ所々崩れて消失しつつも、かつて山仕事に命を賭けた男達の存在がそこにあったことを物語る。今でこそ車で誰でも来られるようになったが、50年前にレールが敷かれた当時、この奥秩父はまさに秘境と呼ぶに相応しい土地だったのであろう。そんなことを考えながら軌道跡を歩いて行くと、木々の切れ間から何やら人工物が見え隠れする。赤沢谷の取水堤である。ここで取り入れた水は滝川出合の発電所に送られているようだ。

入川森林軌道跡 取水された弱々しい流れの入川
本来の流れはこの10倍はあるだろうか

累々と巨岩の積み重なる赤沢谷
この流れも取水提に吸い込まれていく

 取水提上流の流れは、轟々と谷間に木霊して大岩の間を縫って流れている。今まで見てきた入川と同じ流れかと思うほどの荒々しさを見せてくれる。これが入川の本来の流れ、原始のままの渓であろう。左岸から出合う赤沢谷も巨岩が積み重なり、その岩をも乗り越える流れは素晴らしい。
 森林軌道の跡とはここでお別れのようである。軌道は赤沢谷を渡り奥へと続いていたようだが、橋げたの跡が残るだけでその先は自然に飲み込まれていた。

 我々は十文字峠の標識に従い登山道へと導かれた。そこから一気に高度を稼ぐ急登が始まり、ザックが肩に食い込んでくる。と再び森林軌道跡が姿を現した。先ほどまでよりも荒廃が進み、レールはほとんど失われていた。
急登を終え小さなピークに立つと深く切れ込んだ谷間は水墨画のようなガスに包まれていた。ここからは流れの囁きも聞こえず、流れがどうなっているのか窺い知れない。

このキノコが一番多く出ていた
イグチの仲間だろうか

 先ほどまでもっていた天気が崩れ始めシトシトと雨が体を濡らし、我々の嘆く声とは裏腹に森の木々が歓喜の声を上げている。落ち葉の間からは様々なキノコが顔を覗かせている。どうやらイグチの仲間のようだが、残念なことに詳しくないので分らなかった。

 「中村さん、こりゃウジャウジャですかねぇ」降り出した雨に伊藤君が釣りへの期待を口に出した。「いや! ジャくらいでないかい」と答える中村氏。この天候ならば入食いかもと期待を膨らませるが、ここは秩父である。ひっきりなしに釣り人の訪れる渓なのだ。あまり期待しないほうが良いだろう。そうは言っても「中村さん、ウジャウジャですよね」と伊藤君の声は弾んでいた。

 降り出した雨の中、アップダウンの続く登山道を歩くこと1時間半。金山沢へと下降する踏み跡の目印となる標識に到着した。ここまで車止めから3時間程だろうか。明確な踏み跡は多くの釣り人が入っていることを物語っている。
 地図によると谷底までは高度差約100m。雨で濡れたズルズルの斜面に思いのほかてこずった。最初は明瞭だった踏み跡も、じょじょに不明瞭となり赤いテープに導かれながら慎重に下っていく。細かな砂の上に乗った落ち葉の上はフェルト底のシューズではグリップが効かない。勾配がきつくなるにつれ、踏み跡が不明瞭になってくる。木に掴まりながら慎重に降りていったのだが、川から20mくらいまで来たところで完全に見失った。
 私が先に途中まで降りて中村氏のほうを振り返ると、ちょうど斜面に引っかかった一抱えもある丸太を越えるところだった。ところがその丸太が滑り出したのである。
中村氏は丸太に追いかけられるように斜面を滑り落ちる。間一髪のところで丸太を避けると、丸太はそのまま落ちていった。

苔むした岩の間を流れ落ちる
入川支流金山沢

 危ない目に会いながらもなんとか渓に降り立った場所は2m程度の滝が掛かり対岸は切り立った岩盤。上流を見ても下流を見ても河原など無い渓底。金山沢の出合はその下流直ぐのところにあった。

 金山沢は入川に注ぐ支流で、上流で大荒川谷と小荒川谷と二俣に別れる。その二俣のところにテン場があるという。今日の予定ではそこで泊るつもりである。
 この沢は連瀑帯で規模こそ大きくないものの小さな直登できない滝が次々と現れ、そのたびに巻きを強いられた。雨のなか私が竿を出すもアタリすらない。
 こんな絶好の条件のもと、アタリもないのはどういうことだろう。魚はみんなどこに隠れているのだろうか。
 いいかげん竿を出したり仕舞ったりに嫌気がさしてきたころ、伊藤君が「今日は雨だし、柳小屋泊まりにしませんか」などとのたまう。「なに、今来たズルズル斜面を100mも登り返すんか」と内心思ったが、この降りでは止みそうも無い。避難小屋とはいえ屋根があるところは快適だろうなぁ、と思い直し、引き返すことにした。

 速攻で今来た渓を下り、ズルズル斜面へと取り付いたのだが、踏み跡への登り口は雨で滑り掴まる木も無い。ついつい涸沢をはさんだ取り付きやすい斜面を登り初めてしまった。あとでこれがとんでもないことになるとは知る由も無くガシガシと登る我々であった。
 先ほど降りてきた踏み跡と違って掴まる木があるため登りやすく、あっという間に半分以上来たようだ。ところがそこから先が右にも左にも行けなくなってしまった。我々の目の前には家のような巨大な岩の壁が立ちはだかり、ハーケンでもないととても越えられそうにもない。左はずっとそんな感じで、右には急角度の涸れ沢が邪魔をしていた。
 しばしルートを探して右往左往したのだが、どうにもならない。せっかく登ったのに降りるしかないなんて。悪いことに雨はより一層激しくなってきている。しかたなく下るが登りは楽でも下りは怖い。滑落しないよう慎重に下り、伊藤君が沢を渡れる個所を見つけなんとか渡りきり、踏み跡を見つけたようだ。続いて中村氏が進むのを立ち木に掴まり見ていた私。事件はそのとき起こった。
 なにげに自分の足元を見ると、そこには艶のある黄色と黒の縞々模様を纏った奴らが怒り狂って飛び回っていた。そう、私が立っていた木の地下にはスズメバチの巣があったのだ。
 ヤバイ! そう思った瞬間、普段はIntel DX4なみのトロい処理能力しかない私のCPUは瞬時に視覚神経を通した情報を脳に送り、Pentium4なみの演算能力で体中の筋肉に伝達。世界陸上で見せたモーリス・グリーンも真っ青のダッシュで急勾配のズルズル斜面を駆け抜けた。今思えば自分でも良くあのズルズル斜面をザックを背負って走れたなと驚いている。人間やればできるじゃん! 幸運だったのは激しい雨が奴らの飛ぶ能力を半減させていたことだった。雨が降っていなかったら刺されたショックで転げ落ちて怪我をしていたかもしれない。
 まあ、いくらなんでも3人の男に土足で家を踏みつけられたら、誰だって怒るわな。

 スズメバチにも刺されることなく、あえぎながらもなんとか登山道に辿り着いた。ここから柳小屋までは2時間は掛からないだろう。しかし、ろくに休憩を取っていない3人、おまけに腹も減って完璧シャリバテ状態。行動食を口にしながら登山道を辿るも、だんだんと夕闇が迫ってくる。なんとか陽のあるうち6時半までに小屋に辿り着きたい。道はこれがちゃんとした登山道なのというような荒れようで、所々崩れ落ちている。木々の間から柳小屋が見えた時、その小屋はどんな高級リゾートホテルよりも素晴らしく思えたのは私だけではないだろう。

 小屋は建てられて10年も経っていないようで、立派なものだった。中に入ると10人は楽に寝られそうな素敵なログハウスだった。おまけに貸切とくれば言うこと無し。

 柳小屋に辿り着いたとき私はとっても疲れていた。正直言ってもう動きたくなったが、飯を作らなければ空腹で眠れない。3人で協力して米をとぎ、飯を炊き、おかずを作りとりあえず宴会。着替えてゆっくりと飯を食べていると、一時的に元気が出てくる。それでも今日は早めに就寝。おやすみなさい・・・。

 夜中に伊藤君がゴソゴソやっていて目が覚めてしまった。あたりはまだ真っ暗なのでもう一度寝たが、あとで聞いたらカマドウマの襲撃にあって飛び起きたらしい。小屋にあったノートにもカマドウマに注意と書いてあった。久しぶりの来客に喜んだのだろうけど、こっちはあまり嬉しくないなぁ。

避難小屋とは思えない立派な作りの柳小屋 柳小屋前の入川の流れ
柳吊橋にて

 外を見ると今日も天気はすっきりしない。一応小屋の前で竿を出したがアタリの1つも無い。伊藤君のルアーを追いかけてきた岩魚が1尾いただけだった。
 味噌奉行の中村氏の作ったとん汁を美味しく頂き、パッキングを済ませて靴を履く。こんな快適な小屋、もう一晩くらい泊って行きたいとの思いを断ち切り、11時に小屋を後にした。
 この時間なら赤沢谷の出合で昼飯が食えるだろう。天気もどうにか持ちそうだし、ノンビリと登山道を歩く。昨日見たキノコが1日で随分と大きくなっている。これがナメコとかだったらなぁ。

雨の雫が葉の瑞々しさを引き立てる
美しい秩父の原生林
小ピークで一休み
もうすぐ赤沢谷出合だ

 予定通り赤沢出合で特製ラーメンで腹ごしらえしてから軌道跡を歩いていると、下に見える渓で竿を振っている釣り人発見。その後外人さん2人組と出会う。連休だというのに随分とひっそりした奥秩父であった。

軌道跡の登山道を下る
苦しかったことも思い出に変わる
もうすぐ車止め
去りがたい気持ちが歩みを止めさせる

 車止めのキャンプ場にはカラフルなテントが軒を連ね、親子連れが管理釣り場で竿を振っていた。また下界に戻ってきてしまった。今回の釣行を振り返ると竿を出していたのはほんの1時間くらいだろうか。釣りとして見れば不完全燃焼だけれど、豊かなブナやミズナラの原生林と透き通った流れに出会えて、本当に素晴らしいものだった。奥秩父の山はまだ人の手の入っていない原始の姿をとどめていた。また来年にでも釣りに来よう。釣れないけれど、なにせ近くていいもんなぁ。


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