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末沢川顛末記

新潟県三面川支流末沢川

2001年9月27日〜29日

山田義正、渡辺健三


Text&Photo:渡辺 健三

 「プルルル〜、プルルル〜 はい、K上ですが」
 「私、渓道楽の渡辺ですが、K上さんいらしゃいますでしょうか。」
 「ハイ、少々お待ちください。」
 K上さんの奥さんはいつも上品で丁寧な応対をしてくれる。
誰とは言わないが、電話をすると<また釣り>、とあからさまにぶっきらぼうになり、ぞんざいに取り次がれることがある。申し訳なく叱られた子供のように恐縮してしまう。
 「おお、健さん、シーズン終わっちゃたね。八久和よかったよ。マイタケ採り放題。ナベなんか40cmと42cmの岩魚を一人で釣ってやがんの。健さんなんでこなかったの?」
 K上さんは私のことを健さんと呼んで、私はK上さんと呼ぶ。お互い健さんではややこしいのだ。
 「いやあ〜、行きたいと思ってK上さんのおっしゃられたとおり、一緒に行くというT君のところに電話したら、キャンセルしましたというんだもん。がっかりでしたよ。」
 「くればよかったのにね。楽しかったよ。」
 「そう言えば、ナベちゃんの命を救ったんだって。K上さんには一生頭が上がらないとナベちゃんが言ってましたよ。」
 「そうなんだよ。ナベが上から降ってきたんだよ。」
 ナベが降ってくるなんて、昔ドリフの全員集合というのがあったっけ。それなら降ってくるのは金ダライあるいはヤカン程度だった。音はでかいが怪我は無い。まあ体重100kgはないだろうが相当なもんだヨ、あのナベは。
 「私だったら逃げてますけど(いやいや私も身を呈して助けますよ、安心しておっこちてきてね。)、K上さんだったからたすけられたんです。ナベちゃんも良かったですよね。」
 ナベちゃんは八久和で滑落事故を起こし、危うくK上さんの機転で一命を救われたのだった。詳しくはナベちゃんの釣行記を読んでください。書くかどうかわからないが。
 一通り八久和での話やらキノコの話やらした後で、
 「ところで末沢への入渓ポイントについてお聞きしたいのですが、えらいきつい所ですね末沢って。懸垂を3回ほどやって、やっと芝倉沢につきましたよ。」
 「ばか言ってんじゃないよ。末沢で懸垂なんか必要あるかよ。どこから入ったんだよ。変な所から入ると死ぬぞ。」
 死ぬといわれても入っちゃたんだからいまさらしょうがない。
 「ははー、違ってましたかね。」
 実は私も一寸違うんじゃないかな、と思っていたものだから確認のためにK上さんに電話したのだった。

 9月27日早朝6時30分頃、荒川支流針生沢沿いに入山した我々山田と私は、芝倉山の稜線めざして一気に登って行った。天気予報では晴れるということだったが、前日の悪天候を引きずって、曇り時々雨という不安定な雲行きの中での出発だった。
 途中本格的な雨にも遭遇し、登り始めたことを後悔させられた。車止めでこの雨だったなら山越えの末沢になんか入らなかったのに。
 途中食えそうなキノコでもないかと探しながら登るだけの余裕はあった。馬の背を越えると今まで見てきた雲が下界になっていた。もうひとふんばりで稜線だ。稜線を越えれば潅木に捉まりながらの楽な下降となり、芝倉沢に下りられる。そうすれば末沢との合流は目と鼻の先だ、という話を信じていた。
 予定より早く稜線に到着した。不思議なことにピークでは誰かが焚き火をした痕がある。以前練馬在住の某会員が末沢に挑戦したのだが降りられず、ピークでテンバったという場所も確認し、火も起こせなければ、米を研ぐ水もなし、心細さでテントで寝てもいられず、大木の下でまんじりともしない一夜を過ごしたと語っていたのを思い出した。すごいことをしたものだ、と妙な感心をして小休止。
 さてこれからがお楽しみの下降だ。雨のそぼ降るなか下降点を探して稜線を行ったりきたりしてわずかに残る記憶を頼りに探す。稜線の上は石楠花(シャクナゲ)が生い茂り人の通った形跡も無い。藪漕ぎをしながら探すも判然としない。下を覗き込みながら山田が頼りなげに言う。
 「楽に降りられそうな所は、後でどうしようもない崖になっていたりして、だめなんですよね。」
(おいおい、勘弁してくれよ。4回も5回も来ているのだろう。いまさら下降点がわからないなんてそんなことはないだろう。)
 「ここだと思うので降りてみます。」
 しばらく降りてから、
 「一寸ルートを確認してきます。」
 藪がひどくて下がどうなっているか皆目見当がつかなかった。
 「だめですね。左にトラバースしてみましょうか。」
 このトラバースも捉まる潅木も無く、雨は更にひどくなり足元はずるずる滑り確保も難しくなってきた。こいうときは一箇所に長く留まるとどんどん滑って収拾がつかなくなる。落ちる前に安全な所に足元を固定しなければならない。
 しばらく行くと落ち込んでいるちょろ沢を見つけた。
 「多分、この沢だったと思うんですよ。これを下っていけば芝倉沢に降りられるはずですよ。」
(確かにそうだろう、2万5千分の一の地図を見ればどこを降りても芝倉沢にぶつかる。降りられるルートなのかどうかが問題なのだよ。)
 躊躇はできなかった。降りようと一気に下っていった。スラブの岩肌は手がかりとて無くすべるように下るしかなかった。
ザックは雨と沢の水で重さを増していく。いいかげん体力を消耗してきた。
 強靭な足腰を持つ山田は先へ先へと滑り降りてゆく。
 「おおい、危なくなってきたから、先にザックを下ろすから下で受けてくれ。」
 私は自分の体力の限界だと感じ、身軽になって降りることにした。
 そうして小一時間ほどザックピストンで降りていくと、山田も疲れきって、呼んでもザックの所に来なくなった。しようが無く自分でザックを落としては確保し、山田の所まで降りていった。
 「どうもここはルートが違うようですね。」わずかなスペースに腰を下ろし、休みながら山田が呟く。
 いまさらルートを変えるわけには行かない。このまま降りるほか無い。
 「あと、それほどでもないだろうから、懸垂で降りていこう。」
 「そうですね。そのほうが楽ですね。私も疲れちゃった。」
 ここから懸垂下降20mを2度ほどすると沢らしきものが足下に見えてきた。
 「芝倉沢ですよ。」山田の顔にも安堵の色が表れた。
 あと1度の懸垂で沢に降りられそうだ。

 沢に降り立つと、流れは30cmほどの幅しかなかったが、勢い良く流れていた。
(これが芝倉沢なのだろうか、こんな狭い幅しかない沢なのか、確かに水量はあるのだが末沢支流芝倉沢といわれるほどのものではないな。)
 私は梵字支流小沢やその他もろもろの川がもつ支流をイメージしていたので、地図に載せられるような支流は本流にひけを取らない、場合よって渓相など本流以上に美しい流れを期待していた。
 この頃には天候も回復し、雲の切れ間から日差しも勢い良く差し込んできた。それはこれだけ苦労して来たのだから後は楽しい釣行だけが待っている、と弾むような晴れ晴れとした気持ちをもたらし、今までの疲れを吹き飛ばしてくれるような、祝福してくれているような気分にしてくれた。
 先に沢の様子を見てきた山田が言った。
 「だいぶ芝倉の源流のほうに降りたようですね。先に6,7mの滝があります。この滝は見覚えがあります。これを懸垂で降りれば、末沢出会いまではすぐですよ。」
 支点を取り、ザイルの準備を終えると、ザックをおいて山田が先に下りていった。水に弱い山田がウォータークライムをやっている。一寸辛そう。
 水流は勢いが強く、ザックを背負ってでは水流に負けてしまう恐れがある。しかたなく先にザックを降ろすことにした。最後のウォータークライムだ。エイト環をセットするのも楽しい。

 ザイルを回収しゴーロ帯を末沢出会いに向けて下降する。後は早くテン場に到着し、水を吸ってパンパンに重くなったザックを肩から下ろし、魚止め目指して釣り登るだけだ。
 途中で山田が小さな落ち口の滝のところで上を見上げてなにやら考え込んでいる。
 「ここですよ。降り口は、この沢を下降すればいいんですよ。」
 もう降りてきたのだから今更どうだというのだ、という気持ちもあったが、
 「それじゃ、帰りはここを登ればいいんだね。シュリンゲの回収はできないが楽にかえれるのだったらいいね。」
 正直今来たルートを帰るのはうんざりするような気持ちで一杯だった。

 その時、なんの気はなしに立った岩の上で足を滑らした。本当になんでもないようなところだった。自分でも転ばない、ほんの尻餅をつくぐらいだと思っていた。今思うと疲れ、水を吸って重くなったザックなどが自分の意識以上にこたえていたのだろう。そしてテン場は近いという安堵感からくる気の緩み、等が不用意な一歩となったのだろう。尻餅ぐらいが崩れるように頭が岩に吸いつけられるように近づいてきた。
 (やばい、頭をカバーしなければ)スローモーションを見るように頭が岩肌をかすって行く。一回転をして水の中に落ちた。
 起き上がって一番に気がかりだったのは頭に怪我はないかということだった。
 (どうも、頭は大丈夫なようだ。血も出ていない。陥没しているような気配も無い。)被っていた帽子が幸いしたようだ。てっぺんにボッチが付いている帽子は、それが緩衝となって頭を守ってくれたのだろう。鉢巻だったら危なかったかもしれない。
 「おおい、すべっちゃったよ。」
 山田は沈黙していた。何をやっているのだ、と思っていたのだろう。
 体全体に怪我が無いかチェックしていた。ふと右手の薬指に視線が行ったところ、いつもと違う曲がり方をしていた。瞬間頭が真っ白になった。内側に曲がるべき第一関節が外側に曲がっているのだ。痛みは不思議と感じなかった。そのとき脳裏に浮かんだのは、S翁が流され足を骨折した時の状況を説明してくれたK上さんの言葉だった。
(足が全然違う方向に曲がっているのだよ。そのままじゃ添え木もできないから、真っ直ぐに直してから添え木をして、ガムテープでぐるぐる巻きにして固定してやったよ。)
 私の頭の中では骨折、骨折、骨折という言葉がこだましていた。
 またR山全国遭難対策部長がこういうときどうするかということも、K上さんと一緒に伺ったことがあったのも思い出した。
(できるだけ動かさず、そのままの状態で固定すること。下手にもとの状態に戻そうとすると動脈を傷つけ大出血したり、神経を損傷することもあるのでそのままが一番いい。)
 山田に添え木を探してもらい、ガムテープで急ぎ固定した。そしてこれでは釣りはできないこと、痛みの感じない今のうちに急遽登り返して、日のあるうちに車まで戻りできれば病院へ行きたい。悪くても明日には行かないと、明後日は日曜だから行けなくなる等説明した。そして右手は使えないだろうから、急登を上り返すには山田に負担をかけざるをえないとを頼んだ。
 せっかくのシーズン最後を山田まで巻き添えにして、台無しにしてしまったことへの後悔が襲ってきた。そしてそれにも増して、あの急登を上り返せるのだろうかという不安が湧きあがってきた。
 ザックを担ぎ、最初の取り付きに立ち、片手と右手3本の指で最初の一歩を踏み出そうとした。登れない。
 その様子を見て山田が私のザックを引き受けた。なんとか2つのザックを担ごうとして前と後ろに、何とも奇妙な格好になった。それでも強靭な体力を発揮して10メートルほど登っただろうか。水をたっぷり吸った2つのザックはゆうに40kgを越えている。さすがにその格好ではバランスも悪く、限界を超えていた。顔には苦渋の色がありありと見え、汗が噴出している。
 「だめだ。一ッづつ運びます。」
 「悪い。俺も運べる所は運ぶから。」
 ここからザックを50m運んでは戻り、を繰り返し山田は合計800m程登ったことになったのだろうか。午前に降った雨はまだ乾いていない。泥つきの斜面は空身で登る私でも安定が悪く、ずるずると滑る。それでも来た時よりも、幾分傾斜も緩かったのであり難かった。途中で沢も伏流となったのか消えていた。そしてとうとうピーク近くまで登ってきた。最期の難関に石楠花の藪漕ぎが待っていた。石楠花は強い。押し返されそうになるのを無理やり突破し稜線に出た。
 稜線に出ると雨の出発と違いさわやかな朝日連峰の山々が待っていた。ヘリコプターが上空を舞い石滝方面に飛行していった。
 「だれか遭難したのが出たのかな。俺も乗せて欲しいな。」稜線まで来た安心感からか気持ちに余裕もでき冗談も飛び出るようになった。
 しかし、本来のこのルートから最初に入った地点とは、稜線上のピークを更に2つほど越へた先にあった。二度と間違わないように、回りの目印を地図上に書き込み、針生沢へ下降した。しかしこのルートにしても人の通った気配はまったくない。本当にこのルートで間違いないのか帰ったらK上さんに確認しようと思った。

 夕方身支度を整えてから、岩田会長御夫婦もこの近くで最終釣行をするから最終日に会って飯でも食おうという約束を思い出した。そしてとりあえず泊まっている宿に行くことにした。
 突然の訪問者に驚いたらしく、まさか今日会えるとは思ってもいず、くつろいだご様子だったが、事情を話して晩飯をご馳走になることにした。荒川下流は釣果もとぼしく栗拾いに終始したとの事。二人がなんとか下山できたことを喜んでいただき、帰路についた。
 翌日早速病院に行った。レントゲンを撮ると薬指第一関節は完全脱臼しており、関節の骨はあらぬ方向に離れていた。あと二箇所の剥離骨折。ああこの程度だったなら釣りしてくればよかった、とあいも変わらず懲りない呟きをもらす私であった。

 今年は災難続きだ。


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