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山形県梵字川支流小沢

2001年9月13日〜15日

山田義正、渡辺健三




Text&Photo:渡辺 健三

 とにかくすごいのだ。土砂降りの雨、ときおり気まぐれに弱くなる雨に呼応するかのように、遠くに去ったかと思った雷が、だんだん近づいてきてはすさまじい音を立てて落ちる。(おいおい、勘弁してくれろ、俺は悪いことはしていないよ。岩魚釣り放題釣ってきたのはテントで寝ている山田だよ。いじめてないよ。落ちるのだったならあっちにしてくれろ。)個人用タープの下でまんじりともしないで小さくなっている。別の渓に山越えルートで入ったなべちゃんや伊藤君たちはどうしているだろう。もうどっかでテンバっているだろうな。雷も落ちるんだったらあっちがいいのに。

 昨日13日4時過ぎ、月山第二トンネル脇の駐車場に車を置き、梵字本流めがけ一気に下降して小沢を目指した。ここ数日関東では晴天続きだったので、きっと天候には恵まれたいい釣り日和となるだろう、と思いながらここまでやってきたが、寒河江を下りたあたりから空模様が怪しくなってきた。準備をはじめ、いざ出発という段になって、もつかと思われていた天候も本格的に崩れ始め降り出した。
 入り口は何とも奇妙なことに駐車場横の排水溝を通ってゆく。なんだかドブネズミにでもなったかのようで、すこぶる付きで気持ちがよくない。
 しばらくちょろ沢を降りると、かなり急な滝や急角度の下降となる。ザイルを出すのも面倒なので、右側を小さく巻きながらよけて行った。この下降はしかし楽ではない。
 途中で枯れ枝を踏み抜き、右足膝をひねって捻挫したようだ。

 梵字本流は思ったほどの水量は無く、楽な渡渉ができた。なんだこんな渓なのか、思ったほどではないな、と甘く見ていたのが大間違いだった。
 梵字本流を渡渉し、しばらく行くと小沢との出合いになる。右のブナの林のなかにテン場を設定したが雨で焚き火ができない。なかなか雨の中でも焚き火ができる達人には程遠い。しかたなく私の個人用タープの下でコンロで飯を炊く。こういうときのタープは便利だ。まあ、明日になれば雨も上がるだろう、とそうそうに寝入った。夜半を過ぎると、思いの通り雨も上がり星空も見えてきた。
 真っ暗闇の中で、ふと回りを見渡すと、青白い薄明かりがそこかしこに浮かんでくる。蛍か、と思ったが点滅することも無く、蛍光塗料のように青く、弱く光るだけだった。そのうちどうにも気になり始めて、捕まえてみようとやおら起き上がった。
 手を伸ばしても動く気配も無い。そっと指先で触ってみた。
(木だ。ただの木だ。)
 半ば埋もれて朽ちかけている木だった。ナイフを取り出し削ってみた。木っ端になっても光っていた。
(ははあ、バクテリアの中には光を出す発光菌というのがある、と何かの文献で読んだことがあった。きっとそれだな。)
 一人納得しながら削った木っ端をターフの周りにばら撒いてみる。青い薄明かりが闇の中から浮かび上がる。空には満天の星明かりがブナの梢からこぼれてくる。
(なんともファンタステックだなあー)、と一人悦に入る。


 翌日は雨上がりのさわやかによく晴れ渡った空となり、テン場でシェラフに包まっている我々にも朝日を運んできた。今日はいい釣り日和になるだろう、と釣り支度をしていたがどうも昨日下降の途中で捻挫した膝が痛み始めた。山田は相変わらず元気だ。
 私は無理をしないでこの近くで遊んでいようと決め、山田には十分釣りを楽しんできてくれと一人送り出した。
 集中心を無くしたか、この頃よく危ない目に会う。前回の白川の時もそうだった。危なく谷底に落ちそうになった。それにも増してこの頃は岩魚に対する執着が薄くなってきた。渓にあって楽しませてくれるのは魚だけではない、という素朴な感情が以前にも増して強く気持ちの中を占めてきている。樹木、山菜、キノコ、野生ラン、高山植物、満天の星々、今回の発光菌。そのすべての位置が気持ちの中で無意識に近づいてきている。実に個性的な彼らと向き合うことは楽しい。おのおのの個性を発揮し、主張する彼らから受け取るメッセージは様々で、賑やかで、退屈させられることが無い。
 昨日の雨で小沢の流れはササ濁りと変わっていたが、水量もたっぷりありいい釣りができるのではと期待された。小沢は穏やかな流れの渓であり、険相を極めるという場所も無い。
 三つ、四つポイントに竿を振り込みながら当たりを待ったがこなかった。こちらに釣る気も無ければ、向こうに釣られる気もなしか。昔は木化け、石化け、気配を消し、一緒に行った仲間にさえ気づかれることもなく、無心に釣ることだけで渓を駆け巡っていた。欲が無くなれば鋭さも無くなる。
 テン場に戻り昼飯にした。腹がくちくなったところでシェラフにもぐりこみ、またブナの木漏れ日を楽しんでいた。呆けたようにぼうーっと眺めていたら寝てしまった。
 3時過ぎ人の気配で目が醒めた。山田が帰ってきていた。
 雨の後で条件がよかったのだろう、到る所から岩魚が飛び出し鉤にかかったと言う。アミガサ滝まで行って帰ってきたが実に魚は多かった。食べようと思った5匹ほどと共にキクラゲを取って持って帰ってきたと、釣りに無頓着な山田が珍しく饒舌だ。

 渓で時間の経つのは早い。今日は天気も持つだろう。早めに米を研ぎ晩飯に備えた。食に執着しない山田だがいつも生卵を持参する。あんな持ちづらいものよく持ってくるものだといつも感心しているが、タマネギ、キクラゲ、ベーコン、生卵で結構な料理が出来上がった。
 舌鼓を打ちながら四方山話に花が咲く。山田のヘッドランプはすぐに電池が切れてきた。私のLEDのヘッドランプをターフの天井にぶら下げながら夜のふけるのを楽しんだ。

 そのうちにかすかな物音が静寂を破って聞こえてきた。(ドドーン、ドドーン)遠雷だ。そのうちぽつぽつとターフを打つ音が聞こえ始めた。
(またかよ、今日はいい天気が続くと思ったのにがっかりだね。)山田もこういうときは寝るに限るね、とばかり自分のテントに早々に潜り込んだ。
 遠雷は徐々に近づいては遠ざかる。光と音から距離を測ってみた。子供の頃によくやった光を見てから数を数えるあのやり方だ。だんだん長くなれば遠ざかるし、短くなれば近づいてくる。しかし雨と雷は別物のようだ。
 雨脚は強くなる一方だった。そのうちにターフをたたく勢いも尋常ではなくなった。どうやら山田も眠れないでいるらしい。時おりテントの中でヘッドランプの明かりが見える。
 タープの端から滝のように滴り落ちる水滴は、地面に激突すると、機関銃の弾のように寝ている私の顔めがけて飛んでくる。時おり起き上がっては、シェラフにかかった水滴をタオルで払い、一通りザックやその他もろもろの荷物を言い訳するように点検してみる。
(ええい、矢でも鉄砲でももってこい、てんだ。)開き直って寝ることにしたが、弱まると安心し、強まると天を恨んだ。
 夜半過ぎにはこの雷雨もやみ、安心して寝入ったが早朝4時過ぎにまたもや雨で目が醒めた。
 今度のは雷雨ではない。秋雨か、小糠のような雨だ。また気持ちを憂鬱にさせてくれる。
 7時過ぎに目を覚まし少し雨が弱まってきたようなので撤収の準備に入った。8時過ぎには出発したが捻挫した足が痛い。しばらく木の枝を杖代わりにして歩いていった。
 梵字本流との出会いについた。水量は来た時よりも大分増水し濁りも増している。小沢はそれほど増水しているとも思えなかったのだが、やはり梵字は秋雨を集めて奔流となっていた。
 まあ急ぐわけでもないし、空模様を見ればこれ以上激しい雨になる気配も無い。少し様子を見るかと腰をおろし再度簡単に行動食で朝飯にした。

梵字奔流で減水するのを待つ 待ちきれずザイルで強引に渡渉するも敗退

 小一時間ほど流れを眺めていたが一向に減水する気配も無い。埒があかないのでザイルで渡渉するかと重い腰をあげ、果敢に山田が先頭を行ったが押し戻され帰ってきた。
 それではと重心が下にある私がザックに幾つか石をいれ、流れの中ほどにある大岩にザイルを引っ掛け支点とし対岸に振り子の要領で渡りきった。後はザイルをはって山田も無事に渡ってきた。
 梵字下降点のちょろ沢を登り始めたが、雨でぐずぐずの足場で不安定な最初の滝で山田が難儀をしている。
 私は左の巻きルートを見つけて一人登って行った。おやと思ったら山田もあとからついてくる。
「あの登りは正直肝を冷やしました。足はずるずるだし、危険だと思っても下りるに下りられない所まで登ってしまったので、やっとの思いで登り切りましたが危なかったです。」
「おいおい、もっと楽な巻きルートがあるんじゃないのかい。こっちの林の中を一気に稜線めがけて登っちまおう。藪漕ぎは無さそうだし、案外そのほうが楽なんじゃないかい。」
「そうですね、藪漕ぎもありそうもないので行ってみますか。」
山田も珍しく同意してルートを変更した。
 しかし急斜面に変わりは無く、高低差が減るわけでもない。あれが稜線かなと思い、登りきると更にその上に別のカーブが見えてくる。更に登る、またカーブ、更に登る。もう膝の痛みなどはかまっていられなくなった。体はくたくたになるがペースを守って登ればなんとか続けられるものだ。
「このまま登っていくと、月山第二トンネルの上に出てしまうかもしれませんね。」
山田も疲れてきたようだ。
「そりゃ、登りすぎだよ。ルートがあるはずだよ。」
ふと足元を見ると空き缶が転がっている。
「ほら、空き缶がある。ここに誰か来ている。道があるはずだ。」
正直この空き缶に勇気づけられた。

 そのうちにかすかな人の話し声とともに犬の鳴き声が聞こえてきた。
「おいおい、誰かいるよ。」
山田が一寸道を尋ねてきます、と降りていった。
「すいませーん、この辺に道がありませんかあ〜。」
突然うっそうとした深山幽谷の森の中で道を尋ねられたのだから、尋ねられた方もびっくりした。胡散臭そうに風体を観察しているようだったが事情を説明すると納得したかおしえてくれた。もう30分程登ると杣道に出る。それをずうっと登っていけば旧道に出るからということだった。
 この人はマイタケ探しに犬を連れて来たのだという、途中にマイタケが無かったかと聞かれたが、有ったらとっくにお土産にしている。こちらも風体怪しい輩かもしれないが、あっちも一寸やばいんじゃないかい。

 ここから確かに30分程登ると崩れかけた杣道があった。そこかしこ崩れていて大分使っていない道のようだ。藪が道をふさぎ所々判然としないところもあった。なかなか旧道にはたどり着けない。そのうちちょろ沢が見え始めたので山田が降りたいという。この沢は来た沢とは違うだろうから、このまま登ったほうが確実だと強引に登らせることにした。山田も相当疲れているようだ。
 突然舗装された道路に突き抜けた。
 道路に出た二人に走っている車が停車しびっくりしたように話し掛けてくる。よほどぼろぼろになっているように見えたらしい。思ったとおりそこは月山第二トンネルの上の旧道だった。


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