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山形県 朝日連峰
         八久和川

2001.09.22〜25

川上健次氏、我妻徳雄氏、城野徹氏、
田辺哲






Text :田辺哲
Photo:城野徹

 ここは八久和カクネ平。いままでに見たこともない巨大なブナ、ミズナラに囲まれた原始の森である。源流での山釣りの世界に脚を踏み入れてから3年目、ついに憧れの地にやってきたのだ。

 八久和川には一昨年の梅雨明け時に山越えで入渓し、呂滝を越えて魚止めまで遡行したことがあった。当時は源流1年生であり、ひたすら大イワナを釣りたい一心で山越えに挑んだのであるが、結果はあえなく惨敗・・・。すべては自分の体力のなさ、考えの甘さであった。(釣技に至っては言うまでもない。)
 それは3年生になった今でも大して変わることは無く、本当なら渓行きのために普段からのトレーニングや、それなりの心構えをもって挑むべきなのであるが、根っからの「グータラ人間」「ノー天気人間」であり、つまるところいつまでたっても遡上できない「養殖イワナ」なのである。

 そんなボクのことを見捨てることなくお付き合いいただいている奇特な方がいる。「川上健次さん」源流釣り界では知らない人はいないといわれる有名人。
 類まれな体力、遡行技術、山の恵みへの知識、知恵を併せ持ち、日本のありとあらゆる渓に足跡を印した、まさに達人である。

まずは入山前のお約束

 今回の八久和釣行も川上さんの心温かいお計らいにより、カクネ平をベースにしての4日間の行程、つまり「養殖イワナ」レベルでもついていけるまったりコースのはずだった。しかも、ご同行いただけるメンバーとして、今は世界遺産に登録され釣りを含めて入山禁止となってしまった白神山地の往時を遡り、北アルプスの険谷をも制している城野徹さん。お仕事の都合のため、3日間の行程になってしまったが、地元山形県米沢市を拠点に自然保護にも多大なご尽力をされている源流エキスパート集団「群遊会」事務局長の我妻徳雄さんもご一緒いただいた。
 かくして達人3名+養殖イワナ1尾は秋の味覚「天然マイタケ」と「大イワナ」をもとめてダムからのしっかりとした踏み跡をルンルン気分で歩きはじめた。

 余裕の行程ということで途中マイタケを探しながら1時間程で出合う丸森沢にイワナ調査に寄り道しようとザックを下ろし、なんでもないテラスで釣り支度をしていたその時に事件がおきた。

早速渓の恵みをゲット

(いやあ、こんなに近いとこから釣りができるんだ。結構楽勝じゃん。)と気を抜いた瞬間、バランスを崩して1回転、なんと滑落してしまったのである。しかも崖の途中のテラスにいた川上さんを巻き添えにしてしまった。
 本当に奇跡的といっていいだろう。たまたま二人とも親指1本ほどの細い木の枝につかまることができたので大事には至らなかったのだが、もし、川上さんが落ちてきたボクのことを受け止めてくれなかったら怪我どころの騒ぎではなかっただろう。本当にヤバかった。
 この一件ですっかり釣欲を失ってしまったボクは丸森沢に入渓する達人達を見送って、しばし放心状態に陥ってしまうのであった。

 初日のテン場はフタマツ沢を渡渉した高台であった。どうやら丸森沢は過去の渓となってしまったようでイワナ不在の宴会となった。夕闇が迫り、山と積まれた薪に火が灯る頃、またまた今日の悪夢が胸をかすめる。
 そういえば、今回の釣行はボクのことを一番可愛がってくれた祖母の13回忌をキャンセルしてやってきたんだっけ。(きっと、原始の森の神様がこの不心得者に警告をあたえたのだろう。もう今回は大イワナ釣りの事は忘れよう。天下の八久和で大イワナなんて身の程知らずだよな。とにかくこれ以上迷惑をかけることだけはやめよう。)
 そんなヘコんだ心中を察したのだろうか、決してボクの大失態を叱責せずに達人達は盛大に燃え盛る焚き火を前にして過去の失敗談や危険な思いをした経験をいたって明るく語ってくれた。それはどんな励ましやいたわりの言葉よりも心を打ち、同じ失敗を繰り返さないようにと、ボクにとっては自戒の渓語りとなった。

楽園への道を辿る 素晴らしき山の恵み

 明けて2日目、本日はカクネ泊まりなのでメインはマイタケ採りである。達人3名はまるで自宅の庭を歩くようにミズナラからミズナラへと歩を進められている。
 本格的なマイタケ採りを経験されている方ならお解りだろうが、このキノコを探すのは半端な体力ではお話にならないのである。そりゃ、たまたま道際にあったとかいう、とっても運のいい話もあるのだが、一般には50本のミズナラを見てまわって1株探せるかどうかという途方も無い重労働なのである。ゆえに見つけたときの喜びを表現して「舞茸」と名づけられたのであろう。
 養殖イワナ君も自分の体力の限界まで頑張ったのであるが、このあたりは地元のベテランさんもこぞって入山するほどの激戦区であり、これ以上脚を使うとまたまた八久和の森の神様の逆鱗に触れる恐れがあったのでひたすらカクネ平に向けて踏み跡を歩き続け、お昼をまわったあたりで到着。
 全員で手際よくタープを設営し、昼飯のソーメンを頂いて一息ついてから、川上さんと我妻さんはマイタケ採り。城野さんはカクネ沢、ボクは本流にイワナ釣りに出掛ける。川上さんの案内で楽に下降できる地点に案内いただき本流に立つことができた。

 このあたりは険谷かつ長大なる八久和川最大の広河原が続き、ボクのレベルでも平水であれば難なく遡行できる唯一の場所といってもいいだろう。ただし、裏を返せば遡行者も多くマイタケ採りのオジサン達も頻繁に歩くため、イワナ釣りも結構シビアらしい。事前にアドバイスをいただいていたので、この日のために8mの長竿を用意し、仕掛けも里川の本流用長仕掛けで挑むことにした。
 程なくしてちょっとした落ち込みのはき出しから8寸程の居付きらしいイワナが釣れあがる。サイズはそれほどでもないが、昨日の事件を思えば感激の1尾だ。
 これに気をよくして今度は対岸ギリギリの浅瀬のかけ上がりにそおーっと投餌すると流しきったあたりで根がかり・・・?。軽く竿をあおってオモリを外そうとすると、なんと石が動くではないか。
 あきらかにそれは今まで感じたことの無い手ごたえであった。そいつは決して素早い動きではなく、グイーンッと竿を絞る。(落ち着け!落ち着け!)と何度も自分に言い聞かせ慎重に寄せにかかるとなんと素直にこちらに寄ってくるではないか。「よしっ、これで捕れる。」とさらにテンションをかけたその瞬間、「バシャ!。」ラインが宙に舞う。なんと言うことか!痛恨のバラシである。これまた完全に気の緩みが原因だった。
 それから夕暮れ間近まで必死に竿を振ったが、二度と長竿が絞られることはなく、オカズ用に締めたイワナ1尾を持ってテン場までトボトボと鉛のようになった脚で帰還した。

山でしか味わうことの出来ない贅沢
舞茸どっさりご飯

 さて、その日の晩ごはんは先程のバラシを忘れさせてくれるほどの豪華メニューによる大宴会となった。イワナは城野さんが先行者による苦戦を強いられたものの人数分を、ボクの1尾を含めて渓の名シェフ我妻さん、城野さんによって「イワナ餃子」に、川上さんが強靭な体力と野生のカンで見つけたマイタケの大株も手際よくテンプラ、炒め物、マイタケご飯etcへと変身していく。
 ボクもこの宴会のためにと、ありとあらゆる食材を街で仕入れて持参したのだが、これら山の恵みの逸品料理の前では出る幕がない。結局水汲みくらいしか手伝えずに、ただひたすら酒を呑み、達人達の料理をじっくりと味わいながら胃袋に運び続けるしか術がなかった。(本当にご馳走様でした。)

 昨夜は深夜1時まで呑んだのと、この時期としては尋常ではない寒さのため殆ど一睡もできなかった。そんな条件はみな一緒なのだけど、達人達はいつもどおり焚き火おこしから朝食の準備と実に手際がよろしい。やはり並みの人間の身体とは作りが違うのでしょうか。
 本日ご帰還しなければならない我妻さんと次回またご一緒する約束をしてお別れの挨拶をすませる。後々帰り道にて気付いたのだが、初日のテン場で気になっていたゴミが綺麗になくなっており、焚き火の跡もキチンと跡形もなく整えられていた。本当に渓を心から愛しているんだなあ。

 さてさて、いよいよ核心部への釣りへ出発である。
 一般の渓流釣りを趣味とされている方からしてみれば「3日も費やしてようやく核心部かよ。そんなにしなくてもイワナなんて釣れるじゃないの。」とあきれられそうなのだが、遊びっていうのは他人からみればバカバカしいこと程、本人にとっては極上の楽しさ=遊びなのではないだろうか。だって考えても見てくださいよ、「養殖イワナ」レベルでも時間と情熱をかけ、良きリーダーにめぐり合えば、かの天下の八久和の核心部でのイワナ釣りが実現できるんですよ!。
 ボクにとって釣りとはあくまでも遊びなのです。遊びだからこそまじめに取り組むのであります。

渓は我々の侵入を拒むかのように
険しさを増してくる
魚止めが近づくにつれ、
大岩魚の気配が濃くなってきた

 快適な遡行も広河原が終わると次第に険しくなっていく。そのうちに養殖イワナの遡上を拒む場所もたびたび現れるのだが、力強い天然イワナ達にとっては何てこと無いのだろう。ところどころ達人達の絶妙なサポートをいただきながら遡行を続けると、ある場所を境に良型イワナが次々と走るようになり、ついに核心部に突入したことを知らせる。
 ここから先はまさに桃源郷!。城野さんと交代しながら掛けまくり、バラシ?まくった。川上さんはといえば、竿を振らずに現場監督。(笑)釣り上げてもニコニコ、バラシても「ヘタクソ!」と罵声を浴びせながらニコニコである。
 この一瞬のひとときを楽しむためにつらい思いをしてまで源流にやってくるんですよね〜。

ついに手にしたぞ!
大イワナ達の残像は一生瞼に残るだろう

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものでタイムリミットが迫り、そろそろ竿を畳もうかというところ、水深2、30cmほどの浅瀬でそれは突然炸裂した。正直言って野生の力に圧倒され、引きを堪能するなんて余裕はなかった。ただただ川上さんの言うがままに陸に引きずりあげたとしか記憶にない。
 今まで、尺を越えるような大物を釣り上げた時は、うれしさのあまりその表情は自慢気であったりニヤニヤしたりしていたのだが、これまで経験したサイズを遥かに超えたその魚体を手にした瞬間は、夢にまで見た場所で夢を実現してしまったものだから、どのようにうれしさを表現したらいいのか皆目見当がつかなかった、ように思う。
 しかもすぐ上手のポイントでもまた同クラスが竿を絞ってくれた。八久和の森の神様は最後の最後で最高の贈り物を贈ってくれたのだった。

 今宵は盛大な焚き火を前に達人お二人に祝宴を開いていただいた。もっとも持参した酒はあっという間に底をついてしまったのであるが、ブナの巨木を前に酔い、マイタケ料理を肴に酔い、大イワナ達の残像にいつまでも酔いつづけた。
 思えば長い人生からしてみればこの4日間はほんのまばたき程度のものだろうが、八久和の原始の森はボクにかけがえのない様々な教訓や経験、そして感動を与えてくれた。

 帰路、さわやかな風が頬をやさしく撫でるブナの森を踏みしめながらふと立ち止まると、ボロボロでちっぽけだった養殖イワナの尾びれが少しだけ成長したような気がした。


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