私にとって今年初めての渓泊まりとなった今回の釣行は、渓忍者@寸又兄貴のフィールド、静岡県の大井川支流をご案内頂く事になった。メンバーは地元の寸又兄貴にナベさん、それに今回のコーディネートをしてくれた篠原ししょ。
アプローチは、忍者の足で片道3時間、我々減量ごっこ隊(私とししょの秘密結社である)の足で約3時間半。途中に10m近い岩壁や滑り落ちたら全身打撲じゃ済まないようなガレ場はあるものの、基本的には廃林道が8割なので少しは楽が出来るが、山ヒルちゃんがいるので、うかつに休めない。
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渓の前衛 山蛭 |
だが、その先にはヤマト岩魚の桃源郷が!!そう思うと歩ける。ナベさんもおっしゃってました「だいじだーまっちゃん。歩いてれば着くから。」確かに。
途中で寸又さんが「まっちゃんもう3/4来たから、後ちょっと」「まっちゃん、あとは林道1時間で着くよ!」と、ペース配分を示して頂いたお陰でだいぶ楽でした。
このところ深夜に帰宅する日々だったが、今回の為に毎晩スクワットをやり続けた甲斐あって、前回ほどきつくはなかった。
昨年の私の源流デビューの時も渓をご案内頂いたのは寸又兄貴だった。私の中では大井川は思い入れのある渓となっていた。
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前回、トレーニング不足と不眠により気絶寸前の私 |
楽しい岩登り |
やっとの事でテン場につき高級酒場を作ると早速、乾杯!吸い込みが良いんです。
酒を冷やしに川に近づくと早速、数匹の岩魚ちゃんが走るのが見えた。(川鯖か!?川イルカか!?)
居ても立っても居られない。酒を早々に先輩3人を残し、早速テン場前で本当にオニのようにデカイオニチョロを捕まえ数投すると早速、ちびちゃんがかかった。
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源流酒場、開店 |
早速、私の竿にちびちゃんが |
サイズは上がらなかったが何しろ釣れた。寸又さんとナベさんはテンカラを、ししょは餌釣りで順調に釣っている。4人の顔には笑顔が絶えなかった。まるでランドセルを玄関に投げ捨てて、遊びに来た少年達そのもの。
途中、疲労と空腹に耐えかね、一度やってみたかった渓ソーメン!名付けて「まっちゃんのわんぱくソーメン」をお披露目した。これにはみんな舌鼓をして思わず4人で14玉たいらげる!!
我ながら思い出すだけでもヨダレが溢れ出てくる一品でした。
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見事なラインさばきに見とれる。 |
じゅる |
一行は順調に釣り上がり、間もなく、寸又さんが「ようこそ釣り堀へ」と前回尺上を出したという大きな釜にたどり着いた。途中に寸又さんが採った見たことも無いような「どば?」、「しまへび?」を餌箱に釜をのぞむ!
いかにも尺上が水中を悠然と泳いでそうな渓相である。こんな釜、雑誌でしか見た事ない! 私の個人教授をして頂いたナベさんに色々と大物ポイントや釣り方を教えて頂き、餌を落とすがどうも、私の腕が悪いためちびちゃんしか来ない。
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尺上が泳ぐ釣堀 |
尺上よ来い! |
そうこうしているうちに逆サイドの左岸側ギャラリーが騒がしい。見るとししょが丸々太った尺1寸を重そ〜うに笑顔で抜いている!!声は聞こえなかったが口パクから察するに、彼は確実にこう言っていた!「また横取り師匠って呼ばれちゃうなぁ」
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良かったですね! |
その後、大きな釜がもう一つありナベさんの長竿で粘るがやはり9寸止まりだった。 結局、私は9寸ほどを2本あげ、その他多くの6寸〜8寸の岩魚ちゃんをあげるに留まった。
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これぞ天然大和岩魚さま! |
何はともあれテン場に戻り「渓酒場」オープンの準備に取りかかる。
ナベさんの岩魚寿司に寸又さんのマカロニサラダ、ししょの岩魚と鳥の唐揚げ、岩魚汁、私のわんぱく炊き込みご飯。
これらが渓と森と酒にビッタシ!!全てがうなるほど旨かった。この時、翌日のワールドカップ゚日本戦を見に行く事など、もうどうでもよくなっている。べろべろのぺろんぺろん。
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塩焼きを教わる。今回も本当に勉強になりました。 |
翌朝、リベンジにかけ早朝に釣り上がる予定だったが、シュラフカバーしか持ってこなかったため寒くて寝られず、私は睡眠不足。竿は出さずに寝起きに向かい酒で体を温め、朝の森にお別れを告げ早速、帰路へ。
そうこうして、また車止めへ向かって歩く。帰りは山を見ながら露天風呂温泉につかった後に、冷たいビール!!「くわっ〜、旨いんだなこれが!!」
そして、私は日本−ロシア戦を観に横浜スタジアムへ向かう。「大和魂」のはちまきにヤマト岩魚のやきがらしを二本差し、八つ墓村状態で応援!!
色々聞いてみると今回の釣行は「尺上、尺上」とうるさい私に、「まっちゃんに尺上を釣らせようツアー」を企画してくださったということだった。うるるるる・・・・。
今回手取り足取り個人教授をしてくださったナベさん、渓をご案内して頂いた寸又さん、コーディネートしてくださった篠原ししょ 皆さん、本当にありがとうございました。
こうして、やはり昨年に引き続き「横取り師匠」に尺上をあげられた私であった。
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