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山形県 朝日連峰 湯井俣川

2002.06.07〜09


山田、永田、伊藤、紺野、渡辺










Text :渡辺 健三
Photo:伊藤智博、渡辺健三

 今年は本格的に体を使うような渓行きはまだしてないので、体は鈍りに鈍っていた。悪質の風邪を引いているのか奇妙な不快感をともなう、ひやっとするような汗が背中を伝う。まだ体の芯に微熱が滞っているようだ。
 体調は良くない。更に4日には会長が脳梗塞を起こして入院してしまった。会長亡き後、私まで病気になったら会はどうなる、どうもならないか。
 こんな弱気の状態が続いていたものだから、まして会長の見舞いに行くと、「無理は止めた方がいい、もう年なんだから」なんて説得される。ああ、嫌だな、やめようかな、なんて思っていると岩手遠征組からも声がかかる。会長が行くはずだったが行けなくなったので一緒に来てくれ、誘われると断れない性格を見破られているのか、どうしようか迷ってしまう。とりあえずこちらの方は体調不良を正直に伝え、あきらめてもらった。さて湯井俣はどうしようか、やっぱり止めようかな、なんて思っていたが、いざ7日になると聊か体調も戻って来た。行ってみるか、むくむくと渓への期待も出てきた。まあ楽な渓だし足慣らしには良いだろう、と車に乗っちゃった。もう帰れない。

 到着は朝六時過ぎ、八久和ダムサイトに車を止め支度を始めた。
 いつもはダムを走り、対岸までいけるのだが今回はなぜか進入禁止になっている。天気は良好、ダムより眺めると右に八久和川、左に湯井俣川が雄大に流れ込んでいる。風もなく湖面は穏やかに朝日を反射している。
 伊藤君も今年の初源流釣行だ。彼の意気込みはすごい。釣りより渓での宴会を楽しみにしている。ほとんどの共同装備は彼のザックに収まっている。渓泊まり一泊にしては多すぎるほどの食料、酒、ご苦労なことにビールまで担いでくれている。こりゃ半病人の私でも楽しみになってくる。
 彼も人並みな仕事の苦労を抱えている。渓行きはいい。無条件に日頃の憂さを晴らし、ストレスから開放してくれる。

あれ?靴紐が無い! 渓道楽若手のホープ 紺野君(左)と伊藤君

 渓道楽若手ホープ、伊藤君と両翼をになう紺野君が慌てている。いつも冷静沈着、山岳会で鍛えた強靭な肉体と、豊富な経験に裏付された、いつも自信に満ち溢れた彼とは一寸違う。訊くとウエーデングシューズの紐がないと言う。紐がなければ歩けない。
 彼は端整なマスクをしているのでさぞかし女性にもてるだろうと思う。でもどうもその様子もない。はやいところ気立ての良いお似合いの彼女でも作ってもらいたいものと、おせっかいながら思っている。東大宮の魔女達(?)が多いからあぶないよ。おかまのヒロちゃん(?)はほっとかないだろうね。
 すぐ話がわき道にそれるのはいけないね。話は彼の靴紐、皆でああでもないこうでもないといいながら、結局ポリプロピレンの荷造り用の紐を代用することにした。一寸痛そうだがしょうがない。
 30〜40分程歩くと、多少ガレているところに出くわした。伊藤君は重いザックで恐い思いをしながら通り過ぎる、すると湯井俣橋に到着した。以前来た時は20分ほどで到着したような気がしたが今回は結構遠く感じた。橋の上から川面を眺めると丸々と太った40〜50cmほどの、黒い魚体をくねくねさせながら泳いでいる正体不明の魚が見える。
 岩魚だ、岩魚だ、と叫ぶやつ。
 あんな太った岩魚がいるわけがない、鯉だ、と石をぶつけようとするやつ。
 今回の目的はテン場での宴会、足慣らし、できればF1越えて魚止めをめざす。訳のわからない魚にかまけて寄り道はできない、と意気軒昂にその場を後にすることにした。
 この頃から体調不良がひどくなり始めた。この頃私の釣行記はほとんど事故発生、辛い思いの涙涙の物語ばかり。ああ帰りはヘリコプターに乗って帰るのかなあ〜〜、なんてげっそりしてしまった。
 先達は山田氏、次に私、そして最年長の永田氏、伊藤君、最強の紺野君を殿につけて歩いていたが、永田氏が二番手につき、私は三番手に落ちた。ここまでいつもの速いペースできたが気力が萎えてきた。

今回も辛い思いをするのだろうか 本流への下降

 テン場まで楽な山道2時間ぐらいかな、なんて皆に伝えていたがなかなかつかない。やっとの思いで沢への下降点に到着し降り始めた。気力の萎えている私には以前来た時よりも急に見える。初級者コースのこんな下降でも気力の衰えとは恐ろしいものだ。顔にはださねど早くテン場に行きたい思いばかりつのる。

雪代に漬かりながらもテン場を目指す

 沢に降り立つとなんか水の量が多い。またまた弱気の虫が疼きだした。一寸水に足を浸すとさすが雪解けの水、ちべたい。
― 濡れたくないよ、泳いだりしたら熱が出るよ。今更帰れないしなあ ―
 それでもなんとか腰ぐらいまでで、へつっていったりスクラム組んだりで、パンツ濡らすぐらいで進んでいった。
 伊藤君と紺野君が果敢に別ルートを進むが後が行けず戻ってきた。結構な水量だ。流芯にはまったら流される。伊藤君は変な掛け声をかけて皆にハッパをかける。ゴーゴー、とかよく分からない。おかしなやつだ。それで行き詰まって帰ってくる。紺野君は相変わらずニコニコしながら伊藤君に付いて行く。いいコンビだね。

 前回テン場にしたところより先のもっとテン場に適した場所をゴーゴーコンビが探してきた。確かに広くて地面は柔らかく寝るには適した所のように思われた。でもとんでもない所だった。
 いつものように手際よくターフを張り、ザックを降ろしては早速源流釣行に元気な皆は出発していった。私はいつものようにお留守番。

水の冷たさも忘れ夢中になって岩魚を狙う 渓は雪代で溢れていた

 暑い、暑い、かんかんと照りつける太陽は真夏のように容赦なく照りつける。雪代の水はどんどん増え始めていた。とうとう私は誰も見る者もいないのを幸いにパンツ一枚になってターフの下で昼寝としゃれ込んだ。
 しばらくすると永田氏一人が竿を振りながら降りてきた。他の三人はと訊くとF1攻略に頑張っているので、一人下流を釣るつもりで降りてきたと言う。それでは私が苦労して採取してきた上尾名物のドバちゃんを分けてあげよう、釣っといでと送り出した。
 さらに30分もすると、がやがやと三人がテン場に帰ってきた。何だずいぶん早いじゃないか、どうしたんだといぶかしげに尋ねると、とてもじゃないが水量が多すぎてF1にもたどり着けない。魚止め目指すどころじゃないと諦め顔。前回私がF1に喰らいついたときはそれほどでもなかったので、一寸不満だったがしょうがない。それじゃ夜の宴会に備えましょうと、薪をさがし、酒を、ビールを雪渓の下にうずめて冷やしにかかった。
 宴会の準備もそこそこ進み、酔っ払ったらすぐ寝られるようにと、シュラフを引きずり出し、マットを引き安眠できるテリトリーを確保しようとシートの上に上がると、ありありありあり、ありんこの大群。げげーー、寝ていたらありに食われる。
 慌てて掃き出しお引取り願ったつもりだが、少したつとまたまたありの絨毯。どうも二種類のおありさんがいらっしゃって、このシートの上を関ヶ原ならぬ決戦場としてご指定なさったご様子。まあ夜になり日も落ちれば休戦となりお引取りいただけるだろうと、たかをくくり宴会にはいった。

テン場の周りは山菜の宝庫 ゆっくりと渓の時間が流れてゆく

 紺野君の旨そうに飲んでいるビールに目をつけた私は、周りに幾らでも生えているウドを掘り起こし、この白い部分を生で齧ると美味しいんだよ。ビールいただけないだろうかと太い了見で交渉に及ぶ。気のいい紺野君は発泡酒ですけども良いですか、と一缶分けてくれた。いい奴だ。
 伊藤君の計画した宴会メニューもすごかった。焼肉をメインに、水餃子、ピッザ、うなぎとニラの炒め物、コゴミのおひたし胡麻和え、ウドの炒め物、タマネギとレモン輪切りのオリーブオイルサラダ、後はなにを食べたか忘れた。岩魚はなかったようだ。
 いつのまにか泥酔しシュラフの中に潜り込んで寝入ってしまった。伊藤君は顔までカバーできる堰滞壕に潜り込んでいる。
 しばらく寝込んでいると顔の上をもぞもぞと無遠慮に這いずり回る輩がいる。うるさい奴だ、と気にし始めると気になって眠れない。起き上がって回りを見回すと夜も十分ふけたというのに、昼と変わらぬありんこが大合戦を繰り広げている。こりゃたまらぬ、とシュラフを抱えて右往左往すると、どういう訳か紺野君の銀マットの上だけアリさんがいない。肩身の狭い思いをしながらわずかなスペースを頂いて、やっと寝ることができた。

 夜半は強い風と雨が吹き荒れていた。私お手製の一晩中照らし続けてくれたLEDを使った照明器具も飛ばされていた。朝になると空気は一変しさわやかな冷たい風が渓に吹き渡っていた。

 気温が下がったせいか雪代は落ち着きを見せ、遡行も楽になり帰路につくことができた。
 途中昼になり、今や定番となりつつあるスパゲッテイを十人前平らげ、相変わらずの健啖家ぶりを見せる面々であった。十分歩き体を使ったせいか私の体調ももとに戻り、さわやかな空気の中を、今や山田氏とコンビのように走るように杣道を帰ってこれた。終わりよければすべてよし、てか。しっかりしろよ。


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