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福島県檜枝岐の渓

川久保秀幸


Text&Photo  :川久保秀幸

 お盆休みの4日間をどうすごそうかと考えたときに真っ先に浮かんだのは、「釣り旅行」のことでした。長い休みになるとそればかりしか頭にないというのは、釣り人としての「業」或いは「エゴ」と言うべきか。家族サービスもしない、帰省してご先祖様のお墓参りもしない、そりゃ、後ろめたいなと自分でも思うが、息子達から「休み?、部活でーす」とやんわり一緒に行くことを断られるし、女房に至っては「仕事でたまった家事で忙しい!」と、相手にしてくれない。そんな罰当たりな(?)な両方から見捨てられた格好の私が家でゴロゴロしていたら、それこそ「粗大ゴミ」になりかねないわなと、自分を正当化して釣りに行かせてもらったのである。と言ったら、納得と言う人は多分いないだろうな。手前勝手な理屈だが、釣り好きのまともな人間は、得てしてそういう二つの背反する心理に揺れ動きながら、出掛けて行くのだと思う。

 さて、本題です。何で「檜枝岐」かというと、支流が無数に流れているから先行者のことを気にしなくてもいくらでも選べるということと、10年ほど前の渓流釣りに開眼していなかった頃にキャンプした時の印象が良かったからだ。まさに「秘境」という感じでした。と言っても、渓流釣りのメッカとして沢山の釣り人が訪れているから、往時ほどは釣れなくなっている(本流は放流主体の川になっている)し、尾瀬への入り口として繁盛してきた地域だからかなり俗物化しているが、それでも、天然モノが釣れる支流があるらしいということだったので、行っても無駄にはなるまいと。それから、もう一つ、最近、女川、雲取谷と「沢屋」に近い釣行で肝心の釣りが消化不良気味だったので、思う存分釣りに没頭してみたいという気持ちもあった。

 日曜日の深夜11時に誰にも見送られることなく、我が家を出発。東北高速道に入って渋滞にぶつかることなく休み休みしながらスムーズに西那須野塩原インターまでひた走り、会津高原経由で舘岩に入ったのが払暁の4時であった。最初はどこの支流に入るか、本流の渓相を見たり資料を睨んだりして迷ったが、「木賊温泉」という名前がいかにも秘境という感じがするという理由にもならない理由で、西根川に決めた。
 出合いを左折して源流部の川衣まで行ってみる。しかし、どうも川の色がおかしい。中、下流域は澄んだ色なのにそこはグレー色に濁っている。これは何だ!と思ったが、竿を出してみるとアタリがどこでもスンともウンともいってこない。一時間ほどやって駄目だとあきらめて上がって行くと、狭い道の向こうからトラックが通り過ぎて行った。後ろの格好を見るとどうやら砂利採集用バキュームカーのようでした。最奥部で砂利採集工事をやっているようです。だから、こんな色になっていたわけだと合点したが、出鼻をくじかれたこっちは非常に腹が立った。

 西根川というのは釣れない川と言うわけではないので、中流部を丹念に探したらよさそうなポイントがあった。それで入渓してみたらフライ向きの穏やかな流れで、しかもナメ床が続くので釣りになるのかなとちょっと焦りを感じたが、最初の「直感」には間違いがなかった。流れが下に落ちる白泡した辺りで、ググッと重い引きを伴って良型のイワナがかかってきたのである。釣れるというのは何度あってもうれしいものだな。後二日もあるので、写真に納めてからリリース。

西根の良型イワナ
重い引きで楽しませてくれた
西根川蛇滝

 次は檜枝岐の七入りまで、伊南川、檜枝岐川の本流を偵察しながら移動。半分がヘリポートの発着所になっている広い駐車場に車を置いて、目指したのは某沢。その沢は10年ほど前に友人がおいしい思いをした沢だったので、行って見る気になったのである。昔の話だから今でも釣れると思う方がおかしいかもしれないが、出合いからの渓相を見ると落差があってポイントとしては変化に富んでいるとみたので入渓してみることにしたわけだ。で、30分ほど遡行していくうちに、空模様が急におかしくなってきたなと思ったら土砂降りの雨に見舞われて、レインコートを着る間もなくずぶぬれになってしまった。流れも心なしか強くなってきている。そのままではヤバイなと早々に引き返したので、この沢だけは釣れるのかどうかは、残念ながら未確認であった。

 駐車場で雨宿りをしてから、舟岐川へ移動。偵察のみで竿を出していなかったが、中流域はフライ向きの平坦な流れが多く、源流志向派からみれは食指が動かない川です。しかし、上流部は適当な落差があって有望だと思ったので、明日の早朝攻めることにして、まずはキャンプ場探しだ。幸い、途中に感じの良いオートキャンプ場があったので申し込んだところ、入漁券込みでしめて1700円とは安い!管理人もいろいろと親切にしてくれるので、気持ちよくテントを張らせていただいた。「夜の宴会」がないのは寂しいが、一人でのびのび寝られるのはいいし、一人静寂のなかで思索に耽るひとときというのも、何にも代え難いと思う。

舟岐川の流れ ここでも良型のイワナが来た


 爆睡したお陰で心身爽快になって起床。時間を見たら4時を少し過ぎていたが、早速釣り支度を整えていたら、脇を車が2,3台飛び出して行った。行く先を見ると上流を目指すらしい。そう言えば、昨日、中年のおじだけといういグループがキャンプをしているのをいくつか見かけたが、釣り師だったわけだ。下の川で釣りしている人をみるとそこそこに釣れていたみたいだったから、上流部はもっと魚影があるだろうなと期待していたが、こう先行者が多いと考え直さないといけないなと思った。それで当初の予定を変更して、歩行で1時間登った所から入渓してみることにした。二股辺りまでは先行者はいないだろうなと思ったからだが、その目論見は早くも崩れてしまった。いたのである。自分の事は棚に上げて、何でこんな時間に人がいるのだ!しようがないからそのまま黙々と上流を目指して釣り上がっていったが、やはり魚信が全くない。

 二つの高い堰堤を越えてから、ハイウェーダーでここまでやってこられる人はいるまいと思ったが、ふと、右上を見ると道らしいモノがみえたので、あちゃ!そう簡単にアプローチできるほどのモノなら、先行者がいてもおかしくはないなと半分あきらめたが、竿を出してみると、意に反してアタリが頻繁にでてくるのです。ようやく、小さな淵の底から、昨日のと変わらないサイズのイワナがかかって、一安心。あの独特の重い引きはたまらないですね。日が上がり暑くなってきたので、10時頃に納竿。

 帰路、先ほどの堰堤を上から見ると、幅は優に100メートルあるようで、その巨大さには改めてビックリ。堰堤の真ん中にかかっている大木は、気のせいか、イワナが横たわっているように見えるからご愛嬌だが、そこまで持ち上げる鉄砲水のパワーには、慄然とした。自然の脅威には、人智を越えるものがあるなと感じ入る。それにしても、「砂防堤」というふれこみで建設されたようだが、砂礫が堆積して流れが細くなっている様子をみていると、行政の河川管理のいい加減さを思わずにはいられない。

まるでイワナのような流木 堰堤全景

 昼からは観光ということで、昭和村の「駒止湿原」を見てきた。尾瀬の小型判だが、シーズンを過ぎたせいか人出はまばらでした。「夏草や兵どもが夢の後」。そういう時期の観光っていいと思うが、何で日本人は見向きもしないのだろう。時期を過ぎているので水芭蕉はさすがに見られなかったが、いくつかの綺麗な花が咲いて、モウセンゴケという食虫植物も見られて、よかったです。その帰りの道路脇を偵察していると、藪沢ながらもいいポイントがあったので、釣れなくでも元々と思って、ナベさんではないがサンダル履きで道路から竿を出してみたら、一発で綺麗なヤマメが飛び出してきたのには、ビックリしたな。すぐにリリースしたが、試しに近くのポイントを探ってみたら、ちびイワナが2尾ほどかかってきた。意外と魚影が濃い藪沢とは、思いも寄らなかった。見た目は釣れそうでなくとも、竿は出して見るモノだなと思う。

駒止湿原 藪沢で出た美しいヤマメ


 翌朝は塩原の箒川で久々に本流釣りをやるつもりでいたが、予定の塩原グリーンビレッジの駐車場がキャンプ滞在者の花火遊びに使われていたので、早々と退散した。火薬の硝煙が空いっぱいにもうもうと立ちこめ、車の中にも入ってくるので、ゲホンゲホンと最悪だ。適当な場所を探しながら走っていたら、塩原の「道の駅」まで来てしまった。結局、ここで夜を明かしたが、もう川(それほど魅力のある川ではない)から離れているので戻る気にもならず、そのまま帰路に就くことにした。休みがまだあるので、まったりと車を走らせながら思うことは、渓流釣りとは自分にとって「日常性の脱却」(現実逃避ではない)だなということです。対人関係に神経をすり減らすことの多い社会から、自分を忘れていられる(一人でも気にならない)時間というのが、たまたま「渓流釣り」だというのは幸運だと思う。


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