八久和川、この渓の名前は源流釣りを楽しみとする者にとっては、例えようも無いほど魅力的な響きであろう。流程は20kmを越えるとてつもない大渓流。ダム湖から上には人工建造物などない原始の渓そのものであり、山々は樹齢数百年は経っていると思われる巨大なブナ、ミズナラやトチなどの木々が生い茂る。今でこそ八久和は有名になり多くの釣り師が訪れているが、ほんの30年程前には未開の渓であり、まさに大岩魚の群れ遊ぶ桃源郷だったと聞いている。
実は私の源流デビューは八久和川なのである。私の渓流釣り暦は10年ほどになるが、最初は当然里川から始まり、ヤマメや岩魚を釣って楽しんでいた。そんな平凡な釣り師の転機は1998年に訪れた。それまで友人と日帰り釣行を主にやってきたのだが、岩田廣隆氏という一人の釣り師との出会いが、それまでの私の釣りを大きく変えることとなった。岩田氏を会長として数人で結成した渓道楽、その顧問を源流釣りの達人である根がかり倶楽部の川上健次氏が引き受けてくれたのである。雑誌や本で見て憧れるだけであった渓に行く機会が自分にも巡ってきたのだ。岩田会長と出会う偶然が無かったなら川上氏という達人は本の中の憧れの存在でしかなく、また今の私も源流釣りとは縁遠い釣りをしていたと思う。人生とはまさに偶然の出会いからなっているものなのだろうと、しみじみと思った。
その1998年の7月に山形県の越後荒川支流桧山沢を日帰りで釣り上がり、数時間歩いてから釣りをするというスタイルを初めて経験した私は、翌年の99年7月、ついに憧れの源流泊まりを経験することとなった。その渓こそが憧れの大岩魚の渓、八久和川だったのである。
その八久和へのルートであるが、大井沢から天狗角力取山の山頂まで登り、その後八久和支流のウシ沢を下降すると言う、今考えると身の程知らずもいい所のとんでもないものだったのである。しかし、当時の私にはそれがどのくらい辛いものかなどと想像することもできず、二つ返事で行くと言ってしまったのである。そしてその行程は想像を絶する辛さで、初めて背負う20kgを越えるザックの重さも相まって、10m登っては休むという地獄のような登山となってしまった。どうにか辿りついた山頂であったが、今度は長い長いウシ沢下降が待っていた。下るうちに足に力は入らなくなり、テン場にはぶっ倒れる寸前でようやく辿りついたというのが正直なところである。それでも翌日はなんとか釣りをすることができ、尺一寸がアベレージという八久和のスケールに感激し、源流釣りの虜となってしまったのである。
私にとってはそんな一生忘れられない思い出のある八久和川。今年は下流のダム湖バックウォーターからの踏み跡を辿りカクネ平まで行き、本流、支流を釣ろうという計画である。
去年、当会のナベちゃんが川上さんらと入渓し、長沢魚止めにて40cmを2本という経験を涎をたらして聞いていた私たち。今年は自分たちの番だとずっと計画を練っていた。しかし、川上さんからは「君たちだけじゃ、カクネまで行くのは総合的に無理だろう」という忠告も貰っていたのも事実である。それでも40cmに目がくらんだ私たちには「馬の耳に念仏」であった。
例えカクネまで行けなくとも、ブナやミズナラの原生林で遊べればそれで満足である。この計画の噂を聞きつけ集まったメンバーは7名。渓道楽からは伊藤君、ナカナカ、川久保さん、まっちゃん、私。渓声会からは荻野さん、臺(ダイ)さん。人数は多いがまだまだ経験不足は否めない。皆で力を合わせ行ける所まで行こうと意気揚々であった。だが、その計画が実行に移されようとしていた一週間前、「僕たちはカクネまで行かずに、フタマツ辺りでまったり宴会にしますよ」と伊藤君、ナカナカコンビが言い出した。そんな今更とも思ったが、楽しみ方は人それぞれ。それも有りだろうと計画は実行されたのである。
カクネ組の5名は食料も豪華な食材は諦め、装備も選りすぐって負担を少なくする計画であった。しかし、9月も半ば過ぎとなると相当な寒さが予想され、テント無しでは眠れないだろうと思い、そうなるとどうしてもザックは重くなってしまう。
そんな重たい装備と、期待に胸を膨らませた7名が車止めに到着したのは、すっかり明るくなってからだった。そして車止めで見たものは、17台もの車、車の列。地元ナンバーはキノコ採りだとしても半分は釣りだと考えると、いったい何人の釣り人が入っているのか見当も付かない。のっけから気勢をそがれた我々だったが、パッキングを済ませるとカクネ平を目指して踏み跡へと分け入っていったのである。
事前にナベちゃんらからカクネへのルートの情報をもらってはいたが、実際に行ってみないことには何とも言えない。インターネットでも検索してみたのだが、フタマツ沢までの道の状況は皆端折って書いてあり、どの程度の道なのか不安もあった。果たしてしっかりした踏み跡なのだろうか。そんな不安を胸に午前7時過ぎに重いザックを背に、7名はカクネ平への道へと一歩を踏み出した。
車止めからの道は最初はしっかりとしたもので、しばらくは快適な歩きができる。短時間であったが車の中で爆睡した私は調子よく進んでいく。その前の週に町内の運動会で筋肉痛になるほど走ったのも良かったようだ。体は快調そのもので、荷物は多少重たいけどバテるほどの登りも無く、全員順調に森の中の踏み跡を辿る。杉の植林を抜けると、いよいよブナの原生林へと入っていく。そこからはアップダウンはあるが、それも長いものではなく楽勝である。「なんだ、全然問題ないじゃん」と気軽に考えていた矢先、道は山肌を回り込み崖っぷちに出た。斜面に付いた踏み跡は足の幅くらいしか無くなり、下は数十メートル下の本流まで落ち込んでいるのが見える。下には八久和本流の太い流れが見え、巨大な淵を見下ろすことができる。ここを慎重にクリアするのだが、人数が多いので結構時間が掛かる。その先しばらくは森の中の平らな道であったが、またしても嫌らしそうなトラバース道が出現。根がかり倶楽部の曽野部さん曰く、こういうのは「渋トラ」と言うそうだ。今後はこういった「渋トラ」が数ヶ所ある。落ちたら止まらないような所もあり、どうしても慎重にならざるを得ない。数本の沢があるが、沢に下降し対岸を登り返すという感じで踏み跡は続いていた。ところどころから見える本流の流れは、起立した50mはあろうかと思われる岸壁を削り、ときには激流となって迸り、ときには紺碧の長大な淵となって、私たちの心を感動させると同時に畏敬の念を抱かせる。
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踏み跡は所々で渓に落ち込んでいた
重い荷物はバランスをシビアにする |
透き通った清冽な流れ
木々の切れ間からときどき本流を望むことができた |
踏み跡を辿っていくとテン場跡が現れた。ここがハキダシ沢のテン場だろうか。我々の人数と歩くスピードから言って、ハキダシに着くのが早すぎる気がする。期待しないほうがいいだろう。違ったときのガッカリほど堪えるものはない。その沢床に降り対岸に道を探すが見当たらない。少し下流に向かって歩くと見つけることができた。ここがハキダシだとすると、フタマツ沢はもうすぐのはず。しかしハキダシ沢にしてはショボすぎる気がしてならなかった。そこから直ぐのところに立派な支流があり伊藤君を先頭に下降を始めた。滑りそうだったので一人ずつ降りたのだが、下の急斜面の木が揺れていた。随分急なとこ降りてるなと思ったのだが、なんと伊藤君が滑落していたのだ。そのまま落ちていたらヤバかった。下の滝壺まで20mほどだろうか、上手く釜の中に落ちたとしても怪我するのは避けられないだろう。彼はなんとか木に掴まり助かったのだが、ちょっとしたところでも油断はできない。
沢に下りた我々は、ここがハキダシ沢だろうと思い込んでいた。ここまで3時間程度で腹も減ったので軽く飯とする。上の滝が目に入り竿を出している者もいる。ここで1時間ほど休み再び本流の渡渉点を目指す。
すると、そこから直ぐの右手のブナに「フタマツ ココ 下ル」と掘り込んであった。なんとさっきの沢はハキダシではなくフタマツだったのだ。ということはフタマツまで3時間くらいで着いてしまったことになる。この人数の割には随分と早く着いたなと油断してしまったのがいけなかった。この時点ではまだ時間もたっぷりと残っていたのだが・・・。
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太く重たい流れを覚悟してきたのだが・・・ |
本流へと下る道は急だったが、木や木の根に掴まりながら楽に降りられた。本流の流れはというととても水量が少ない。写真で見た重く太い流れはそこに無く、膝下の浅い流れがあるだけだった。これが天下の大渓流八久和の真の姿であろうはずもない。本流を楽勝で渡ってしまったものだから、ますます油断してしまい、そこで写真を撮ったり竿を出したりと、またまた時間をロス。
カクネまでの踏み跡は本流を渡渉した対岸の小さな枯れ沢を登る。登ると広いテン場があり、そこから森の中を上流へと辿る。平らな森の中ではどこでも歩ける為、道は不明瞭となりがちであるが、全員の目で確認しながら進んだ。やがてナベちゃんが言っていた「森を抜けた背丈ほどの草つきの岩場」が現れ、そこのガレ沢を下り本流へと降り立った。この時点で昼を回っていたので各自ラーメンの昼食を取る。ここでもまた誘惑に負けて竿を出してしまったのが決定的だった。
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ブナの葉を通して
秋の柔らかな日差しが降り注ぐ |
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八久和本流の流れ |
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カクネ小隊出撃! |
ここを出たのが1時15分頃。戻ってフタマツ辺りにテン場るという伊藤君、ナカナカの2人と別れ、本流を遡行する。50mほど行くと左手に踏み跡があるはずなので注意して見て行くと、確かに人が登った跡らしきものを発見した。しかし、この道はずっと上へと伸びていて、カクネへと続く道ではない。ナベちゃんらはここを間違えて登ってしまい、1時間もロスしたそうなので気をつけなくては。本当の道はそこにある大岩を巻き、もう一度本流に降りて、ぶら下がっているトラロープの環を目印に、そこから続いているという。しかし、その岩を巻くのは面倒に思えた荻野さん、本流を渡渉して先に進んでしまった。まさかここから本流通しには行けないので、どこかでまた右岸に渡らなければならない。ヘソまで冷たい流れに浸かって左岸を進み、大岩の向こう側で渡渉してトラロープを探す。「あった、ありましたよ。」私は他の4名に叫び、そこからカクネ道へとあがった。冷たい水に浸かったためか、まっちゃんが両足の太ももの攣りを訴えている。ここからは「渋トラ」が続く危険な道。正直私は心配だった。
心配はさっそく現実となった。すぐに悪いトラバースが始まったのだ。砂混じりの踏み跡はズルズルと滑り、疲れきった体に堪えた。おまけに背負っていたザックも相当な負担になっている。今回は比較的余裕のあった私も、足を滑らせ滑落しそうになってしまった。経験の浅いまっちゃんはもっと辛かったに違いない。
疲れきった体に「渋トラ」の連続でペースは上がらず、たいして歩いてないのにフタマツ組と分かれてから1時間も経っている。このままでカクネに辿り着けるのだろうか。少し歩くと森の中となり一息付けてホッとする。そこでキノコ採りのオジサンと遭遇。しゃがみこんでキノコを採っていたのだが、すぐ近くまで行くまで全く気が付かなかった。驚いて声を上げてしまったほどである。山人に道を尋ねると「カクネ平? どこだそれ。ああ、あの平になってるところか。ここからはまだ結構あるぞ。」
その返事を聞いたとたん、疲れがどっと出てしまった。山人がだいぶあるというからには結構な距離だろう。このまま進んでしまっていいのだろうか。下手をして山の中でビバークなんてことになったらどうしよう。それよりも無理して滑落でもしたら・・・。メンバーの中で誰もカクネまで行った事が無いというのも弱気にさせる理由だった。誰か行った事があれば、この先の道の状態や、どのくらい時間がかかるのかは見当が付くのだが。
あと30分進んで判断しようということにし、先へと進んでみた。しかし、すぐにまた「渋トラ」となり、時間的にも体力的にも無理と判断。この時点で決めなければテン場まで戻るにしても、途中で日が暮れてしまうかもしれない。時間は既に2時半を回っていたので、ここは皆には悪いが渡渉点のテン場まで戻るという決断を下させてもらった。ここからなら2時間あればテン場に着ける。少し長めに休憩を取り、疲れた足を引きずりながら来た道を引き返した。
森の中の渡渉点のテン場に着くと、ぐっすりと眠っている2人の姿があった。これこれこういう訳で戻ってきたことを告げ、早速隣にタープを設営。今晩は7人での大宴会だ。私にとっては2ヶ月ぶりの渓泊まりである。
まったりグルメ三昧と言っていた二人の食材は、それは豪華なものだった。7人で食べても満足いくほどの量を担いできた二人に敬服した。カクネに行く目的は果たせなかったが、おかげで美味い物を食べてぐっすり眠ることができた。ごちそうさまでした。
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カクネ小隊玉砕
戻ってテン場る |
全員揃っての焚き火は楽しいものだ |
昨日の夜は疲れもあってぐっすり眠ることができた。寒さも思っていたほどでも無かったのも幸いだ。さあ、今日はどこを釣ろうか。と言ってもこの水量では、本流かフタマツ沢のどちらかが候補なのだが。
ナカナカは本流から見えた滝で出合っている支流を釣ってみたいと言う。テン場からは森の中を辿れば行けるはず。私とナカナカ、伊藤君の3人が支流、他の4名は本流という組み合わせで、朝食後に散っていった。
さてその支流であるが、本流から見えた滝は結構な水量がありそうに見えた。しかし、実際に行ってみるとチョロ沢程度で、さらにはかなりのボサ川であった。まあ万が一ってこともあるので、しばらく釣りあがってみる。だが、ちょっとした落ち込みに竿を入れてみたのだが、全くアタリは無い。ここには魚は居ないと早々と見切りをつけて、フタマツへと向かうことにした。
フタマツ沢は昨日も竿を出しているが、水量的にはまずまずである。八久和の支流にしてみればそれほど大きくは無いのだろうが、釣りあがるには手ごろな沢であった。
まずは踏み跡の上流の滝にナカナカが竿を出すと、6寸ほどの岩魚が挨拶してくれた。滝を巻いて上流に向かうと、落ち込みがいくつもあり、そこそこの溜まりが沢山ある。その一つ一つを丁寧に探っていくと、確かなアタリがあった。送り込んでアワセるとすっぽ抜け。「おかしいな、結構待ったんだけど。」もう一度同じコースを流すと同じところでアタリが出る。清らかな流れの中にエサに食いついた岩魚の影が見え隠れする。大きさ的には7寸はありそうな型である。今度はさっきの3倍くらい送り込み、アワセをくれた。すると思った以上に重たい感触が竿を通して伝わってきた。抜き上げたのは腹の黄色い精悍な顔つきの9寸であった。これは晩のおかずにキープさせてもらい、次のポイントへと向かう。
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フタマツの9寸岩魚 |
滝壺を静かに狙う |
しばらく行ったところでナカナカに7寸強の岩魚。これも綺麗な魚だ。
「これは結構魚影が濃いんじゃないの」とウキウキしながら釣りあがったのだが、後ろから3名の釣り師が登場。「この先、二股になっているから、どちらか釣らせてほしい」というので快諾する。二股までは竿を出さずに飛ばして行き、すぐに到着した。
だが着いてみて問題発生。右の股は比較的容易に釣り上がれそうなのだが、左の股はいきなり滝になっている。「これ上がるのかったるいな」と思い「じゃあ私らは右をやります」と言ったのだが、「ロープ持ってるんだから、左やってよ」と言われる。その押しの強さと、その人以外には左股の滝は登れそうも無い感じだったので、右股を譲って左をやることにした。
さて、まずは目前の滝をどう攻略するかである。高さ的にも3mほどだろうか。巻きも考えられるが、直登も不可能ではなさそう。取り付くにはちょっと冷たい思いをしなくてはならなそうだが、なんとかやれるだろうと伊藤君が取りついた。ヘソまで浸かって滝の左岸に辿りつき、手がかりを探して登りきる。つづく2人も難なくクリア。しかし、その上にまた滝。今度のは釜も無く1m程の高さしかないのだけど滝下は抉れて、おまけに30cmくらいの樋状になって吹き出している。その強さは強烈で、まるで放水車のホースから放たれる水のようであった。流れに触ろうものなら吹き飛ばされてしまうだろう。足がかりは一箇所のみ、それもちょっと嫌らしいところにあって簡単には登らせてくれない。伊藤君の尻をプッシュして押し上げる。続いて私が登り、最後にナカナカが難なく越えてきた。「いいなぁ身長があると・・・」
さ、クリアしたぜと上を見てガッカリした。なんと今度は10mほどの直瀑がデンっと構えているではないか。両岸をぐるりと見渡すが、ツルツルの岩肌はとても登れそうも無い。右岸は草つきになっていて、かなりヤバそうだった。ま、とりあえずとナカナカが竿を出すとアタリがあるようだ。しかし、かなり待っても鉤がかりしない。小さすぎてエサが口に入らないのか、それとも警戒してるのか。そうやって粘っている間に伊藤君が右岸の草つきに取り付き登り始めた。途中までは行けたのだが、その上が手がかりになる潅木もなくヤバそうである。難儀しているようなので、私も伊藤君のところまで登ってみる。あとほんの3m、それさえクリアすれば木の生えた斜面に逃げ込める。しかし、しっかりした手がかり、足場が無く、相当ヤバそうであった。落ちれば15mはあるだろう川床まで一直線。それでも行かなければ進めないので、私がブナの若木にセルフビレーを取り、伊藤君を確保して登ってもらった。相当怖い思いだったろうが、見事登りきり潅木帯に逃げ込んだ。続いてナカナカが登り、最後にシュリンゲを回収しながら私も登る。
ホッと一息ついたのだが、その先も木は生えているのだがズルズル斜面。まさに7月の泥壁を思い出す場所だった。結局、安全にトラバースできるところも無く、尾根近くまで150mほど登らされた。そこから見る景色は絶景で、右股に掛かっている3段の数十メートルの滝まで見渡すことができた。「あの滝じゃ彼らには無理だろう。」などと他人の心配をしている場合じゃない。自分たちもこのまま登ってもどこに降りられるか分かったものじゃない。ヘタしたら遭難である。
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高さにビビリながら崖を登る |
尾根付近の眺め
結局下ることになってしまう
何しに登ってきたのやら・・・ |
短い協議の結果、せっかく登ったのだが降りることに決定。昨日に引き続いての敗退であった。
下りは木に掴まって降りるだけなので体力的には楽である。途中から伊藤君の見つけた枯れ沢を下り、難なくフタマツ沢の流れに立つことができたのである。結局2時間の崖登りをやっただけであった。降りているときの伊藤君の一言には笑わされた。「これってプチ遭難ってやつですか」
これからはこういうのを「プチ遭難」と呼ぶことに決定した。
テン場に戻ると既に本流組は一眠りした後だったようである。すっきりとした顔で出迎えてくれた。今日は八久和最後の夜であると同時に、今シーズン最後の渓の夜。薮蚊に悩まされながらも楽しい夜が更けていった。
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テン場に戻りホッと一息 |
そびえ立つ見事なブナの巨木
日本に残されたわずかな原始の森 |
今夜も盛大に焚き火が燃える
釣り人は何を想うのか |
最終日は天候の崩れも予想されたため、5時半に起床。チャーハンの朝飯を食べさっさとゴミを燃やし、テン場を撤収。8時過ぎには出発した。その甲斐あって11時過ぎには車止めに着いた。
途中から見える八久和の流れと朝日連峰の山々は、往きに見たときと違って穏やかに我々を包み込むように見えた。
帰りは全員元気一杯。とくに臺さんの足の速さには参った。先頭に立つとスタスタと下り、川久保さんを従えて2人で真っ先に車止めに着いてしまったのである。
帰りはお決まりの温泉で3日間溜まった汗を流し、帰路についた。来シーズンはどんな渓行が待っているのだろうか。
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