1日目
【車止めにて】
三面川の車止めは雨だった。みんな憂鬱な顔をしている。それはそうだ、誰が好き好んで大雨が降っている中を重い荷物を担いで歩きたいだろうか?
NHKの天気予報を聞いても今日から明日にかけて天気は良くないようだ。しかし、遥々埼玉から山形まで来たのだ。天気が悪いからといって「ハイそうですか。」と簡単には諦められない。とりあえず暫く様子を見ることにする。
午前7時半頃にひとまず雨は止んだ。雨は止んだが、かなりの増水が予想されるので、予定している岩井又に入れるかどうかは判らない。岩井又の出合まで行って見て、本流を渡渉できるようならばよし、もし本流を渡渉できず岩井又に入れないようならば、三面小屋に行き先を変更することにして出発する。
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雨は止んだ。さあ準備をしよう。 |
【三面避難小屋へ】
岩井又出合に着いて三面本流の渡渉点を確認すると、水の色は茶色く濁り、かなり増水しているように見える。いかにも押しの強そうな流れだ。
「俺ならギリギリ渡れるかな?でも、底が見えないからスクラム渡渉をやるにしても、ここを初めて渡る人には辛いな。」と下田さん。ついでに言えば雨はまた降り出している。
「今は渡れたとしても、帰りにここをまた渡れる保証は無いしなぁ…。よしっ!岩井又は止めだ。今日は小屋泊まりで、明日は三面本流をやろう。」
と、川上さんの鶴の一声で今回の目的地は三面小屋に決定した。
これを聞いた私は心の中で小躍りした。というのも雨が降っている時にタープの下で寝るのと、屋根の下で寝るのとでどちらが良いかは言うまでも無いことだし、何より岩井又へのルートはかなり厳しいと聞いている。膝に故障を抱える私としては登山道を歩いていけば辿り着ける三面小屋は堪らない魅力だったのだ。「今日は小屋でのんびりして、明日は三面本流でちょろっと釣りなんかして…。今回はまったりとできるなぁ…。」などと考えたのだが、それは大きな勘違いだと言うことが、翌日に身をもって知ることになるのであった。
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途中で見つけたヒラタケ。
晩の味噌汁の具になった。
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三面避難小屋への登山道の途中に
ある平四郎沢にかかる一本橋。
高さもさることながら、その古さが怖い。
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三面小屋への道中、途中の泉で一休み |
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【初日の釣り】
さて、三面避難小屋には車止めから3時間程で到着した。が、川上さんと下田さんは大雨に嫌気が差したらしく、「本日は終了!」とばかりにさっさと着替えて(まだ昼前だけど)とっくに宴会モードに入っている。他の面々は適当に分かれ、竿を担いで出漁する。
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雨に煙る三面避難小屋 |
私は横倉さんと川上さん推薦の赤滝上をやることにして、踏み跡を歩き出す。が、行けども行けども赤滝らしきものが見えない。それもそのはずで、踏み跡からは川がほとんど見えないのだから、滝があっても分からないのである。(音で分かるかとも思ったが、全く分からなかった。)
横倉さんと2人で川に降りられそうな場所を探しながら踏み跡を辿るが、何処まで行っても崖また崖で川に降りられるような所が全然見つからない。そうこうしているうちに、踏み跡が薄くなったかと思うと忽然と消えてしまった。
どうやら何かを根本的に間違ったようだ。(見当違いの所を歩いていた等)ここまででかなり時間を食ってしまったので、これ以上先に進むのは止めにして、小屋に戻りながらもう一度下降点を丹念に探すことにする。が、丹念に探したところで崖の傾斜が緩くなる訳もなく、時間だけがただ無為に過ぎて行く…。
だが、ついに下降点を発見した。喜び勇んで転がるように本流に降り立つ。…というか本当に転がり落ちてしまった。(笑)
降り立ったところは廊下状に流れが絞られたところ。しかし、大岩魚の気配がプンプンする。さっそく2人で仕掛けを投入する。と、横倉さんにすぐアタリ。9寸程の良型が竿を絞る。暫くして私も三面岩魚の顔を拝むことが出来た。
岩魚の顔も見た事であるし、予想外に遅くなったので早々に小屋に戻ることにして、踏み跡に戻り小屋の方に行きかけてびっくり。何と下降した所は小屋の目と鼻の先、小屋からわずか10分程のところだったのである。往復2時間も歩いたのは何だったのだろう…。
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初日の夕方、苦労の末に手にした珠玉の一尾 |
2日目
【三面本流〜竹ノ沢出合を目指して】
明けて2日目。今日もあまり天気は良くなく肌寒い。なのに川上さんは
「今日は本流を竹ノ沢まで行くぞっ!何回も泳ぐからな。」
等とメンバーを脅している。
昨日の赤滝上への踏み跡をもう一度辿る。しかし、今度は1時間程の歩きで、あっさり三面本流へと降り立つことができた。
さっそく思い思いに竿を出す。すると程なくして川久保さん、篠原さんに良型岩魚がかかる。
しかし、余裕なのもここまで。すぐに厳しいヘツリ、高巻、泳ぎの連続になる。竿を出しても1人あたり1、2箇所探ったらすぐに竿を仕舞い”ザブ〜ン”という感じである。
泳ぐと言っても、今日は雨こそ降っていないものの曇りで肌寒く、おまけに未だ雪代が入っていて水温は非常に低い。下半身を水に浸けると全身がジーンと痺れる程だ。そんな中を泳ぐのは容易なことではない。
そういった遡行の合間に竿を出すが、中々に渋く簡単には釣れない。釣れないのは我々渓道楽一同の腕のせいもあるが、この区間はゴルジュ帯で元々岩魚が居着き難い所なのだ。
更に、三面ならではの釣れない理由もある。この近辺には”仙人”と呼ばれる世捨て人が住み着いており、彼は毎日この区間を釣るという。一部ではそのせいで”三面本流は魚影が薄い”とも言われているし、また、”仙人”が竿を出した直後だったら、当然釣れなかったりするワケだ。
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前方の様子を伺う下田さん
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早速、水の洗礼を受ける
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「絶対濡れるものか!」と横倉&篠原 |
とんでもないところを行く川上さん |
しかし、この厳しい遡行はどうしたことか。体力を奪う低水温下での泳ぎに加えて、痺れる高巻きを2度3度と繰り返す。まあ、厳しい反面楽しくもあるが、何と言っても水が冷たく寒いのには閉口する。
事前に考えていた
岩井又→厳しい 三面小屋→まったり
の図式とは全然違う。
「そりゃそうだ。岩井又より本流のほうがグレードは上なんだから。」
と川上さん。
「ええっ!?そ、そうだったんですかっ?」
「どの渓であれ、水量の多い本流のほうが普通は厳しいものだよ。」
と下田さん。
「ううっ、そうなのかあ〜。知らなかった、騙されたよぉ。」
などと、今頃になって嘆き悲しんでも遅かったのだった。と言うのも、一般的な本流への入渓点であるキスケ沢から竹ノ沢出合の間には上に上がれる所はないのだ。つまり、逃げようにも逃げられず、ひたすら先へ先へと行くしかないのだった。
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テンカラを振る新発田さん
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流れが強くて先に行けない。 |
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川上さんは今年も極限のへつりを披露してくれた。 |
しかし、あそこは”渓のリーサル・ウェポン川上健次”
をもってしても通過不能だった。…
とみるや、とんでもない所を登り始める川上さん。
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竿を出す川上さん |
さぁ、渡って来い!
ザイルを引く川上さん
渡渉する川久保さん |
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どっぷり浸かりながらへつって来る篠原さん |
水、冷て〜な
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ヨシズノ沢にかかる美しい小滝 |
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【”三面仙人”出現】
三面小屋を出発してから8時間、ようやく竹ノ沢の近くまで来た。向かって右前方に竹ノ沢の流れる谷が見えている。
「あと10分ぐらいで竹ノ沢出合だな。」
と川上さんが呟く。
…と、そんな時だった
「あっ、あれは!?」
「仙人だっ!仙人が出たぞぉ!」
その声の先を見ると青っぽい服を来た蓬髪の人物が急斜面をカモシカのように登って行くところが見えた。
「あれが噂の”仙人”ですか?」
「そう。”仙人”には何回か会っているんだけど、俺の顔みるといっつも逃げちゃうんだよ。」
と川上さん。
「俺、先頭を行ってただろ? で、そこの岩を越えたら人がいるじゃない。ちょっと距離があったからハンド・サインで”釣りか?”とか”そこに行けるか?”なんてやってて、向こうも”違う”とか”無理”なんてやってたんだけど、皆がきたら逃げちゃったんだよね〜。でも、初めて”仙人”に会っちゃったよ〜。」
と、とても嬉しそうな下田さんなのでした。
昨日から噂になっていた仙人に会えて皆一様に興奮気味だったが、時刻は既に午後3時。予定では午後2時まで行動し、それから引き返すことにしていたのだが、既に予定を1時間オーバーしている。そろそろ行動時間の限界である。
いままで上に上がれるところがなく、ここまで来てしまったが、今、仙人が登っていったところならば我々にも登れるだろうということで、仙人が逃げ去った所から踏み跡に上がることにする。何のことはない、仙人に脱渓点を教えて貰った格好になる。
【遭難?】
踏み跡に上がり三面小屋に引き返し始めたのだが、このあたりの踏み跡は何とも悪い道だった。踏み跡が不明瞭で途切れ途切れな上に危険な所がいくつもある。
一度など、崖の手前で完全に踏み跡を見失い進退窮まったこともあったが、手分けして踏み跡を探し出し事なきを得たこともあった。
そんなことをしているうちに下田さんが遅れだした。8時間に及ぶ遡行に加えて、楽なはずの踏み跡トレースで(踏み跡を見失ったがために)予想外に急斜面を上り下りしたのが堪えたか…。
予定より引き返すのが1時間遅れた上に、踏み跡歩きのペースが予想外に遅かったため、日が大きく傾き始めたこともあって下田さんは
「先に行っていてくれ。俺は後からゆっくり行くから。」
と言う。
そのほうがお互い楽だろうと、川上、川久保、篠原、中村の4人と、下田、新発田、横倉の3人に分かれて三面小屋を目指す。
さて、我々先行組がそれから30分程の歩きで、午後6時頃に三面小屋に帰り着いた。と、そこには予告通りにミツさん御一行9名様が到着し、早くも宴会が始まっていた。川上さんは荷物を置くより早く酒宴に混ざって一杯やっている。
他の3人もご相伴に与りながら、遡行に使った装備の後片付けや食事の支度をしたりしていたのだが、6時半になっても7時になっても下田組は帰って来ない。
「時間的に言ってすぐそこまで来ているはず。ここらに危険な個所はないということも下田さんなら知っているだろう。だから少々暗くなっても帰って来るのではないか?遅れるにしても我々から10分程度、多くても30分ぐらいだろう。こんなに遅いのは何か遭ったのでは?」
と言う我々に、川上さんは
「だーいじょうぶだ。ここは死ぬようなところはないんだから、ほっとけい。下田にゃいい薬だ。今ごろ焚き火を盛大に熾してビバーグしているよ。他の2人には気の毒だけど、経験豊富な下田もいることだし大丈夫だろう。滅多に出来ない経験を積んだと思って諦めて貰うしかないな。」
とのたまっている。
結局、完全に日が落ち明日の晴天を約束する星が瞬き始めても、下田組は戻って来なかったのだった。
3日目
【生還】
人の気配を感じて目を開けると下田さんだった。
「ああ、おはようございます。帰ってきたんですね。良かった。」
「心配かけて悪い。いやさぁ、横倉さんが足捻っちゃってさぁ。それで戻れなかったんだよ。」
ビバーグという事態になったのは、下田さんがバテたからではなく、横倉さんが負傷したためだったらしい。やはり予想外の事態は起こっていたのだ。
横倉さんは捻挫したついでに、股ずれまで悪化させてしまった由。「それでは歩くのもままならないわい。」と一同納得した次第。
ひとまず酒と食事を摂って貰い、話を聞くとこういうことだったらしい。
横倉さんは足を捻っても暫く頑張って歩いていたようだが、足に力が入らず頻繁に転倒するので下田さんが安全なところで休ませたらしい。しかし、その時あたりは既に真っ暗、踏み跡を辿るのもままならない状態だったそうな。
そして午後8時、もはやこれまでと決断した下田さんは「ここでビバーグしようと思うがいいか?」と他の2人に確認し、遂にビバーグ決定となったという。
ビバーグと決まってから、一晩燃やし続けられるだけの薪を集め、3人が持っている食料を持ち寄り全てを3等分して分け合ったという。
例えば1個だけあった”梅しば”(1個ずつ袋に入った梅干)も(分けるのが難しかったが)3等分して食べたという。そして、この”梅しば”は特に美味だったと3人は口々に言っていた。
それから、食料の食べ方にもコツがあるらしく、1本しかないソーセージを3つに分ける場合で言うと、3等分したソーセージなぞ一口で食べられるぐらいの大きさになってしまう。しかし、こういう場合は一口で食べてはいけないそうだ。なるべく長く持たせるために少しずつ食するのがビバーク時のコツなんだそうな。
中々得がたい経験をした新発田、横倉の両名も交互にビバーグ時の様子を語るが、夕べ一睡も出来なかっただけに相当眠いらしく一通り語り終えると次々とシュラフに潜り込む。
他にも色々と話が聞けたのだが、全てを記すと異様に長くなってしまう。この時のエピソードは下田さんが、いずれどこかの雑誌等に発表する機会もあるかと思う。ビバーグ時の詳しい内容は下田さん自身が語るそちらを参照されたい。
ビバーグ組が休んでいる間、他の4人は思い思いにまったりする。今日は雲ひとつ無い素晴らしい青空が広がっている。最終日になってようやく念願のピーカンの天気とまったりタイムが実現したのだった。
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日光浴をしながらまったりする川上さん |
3日目
夏の日差しを受けてきらめく三面の流れ
三面小屋付近にて
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「この天気が昨日だったら快適に遡行出来たのに…。」
と恨めしく思ってもこればかりはどうしようもない。せめて来る時とは違う表情を見せてくれるであろうブナの森の景色を堪能しながら帰る事としよう。
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