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栃木県 大蛇尾川

2003.07.20〜21

川上顧問、高橋、高野(渓道楽)
荻野(渓声会)






Text    :高野 智
Photo   :荻野 高野

 例年ならば海の日の祭日前には梅雨明けとなるのだが、残念ながら今年はまだ真夏の太陽は顔を出さず、ぐずついた天気が続いている。

 渓道楽に新しく入会した高橋さんから「7月の連休は休めるので、源流に行ってみたいのですが」と前々から頼まれていた。もう一人の新人、森さんは仕事のために行けなくなってしまったので、川上顧問と私と高橋さん、そして渓声会の荻野さんの4人での釣行となった。

 釣行先は栃木県男鹿山塊を流れる大蛇尾川(おおさびがわ)。大蛇尾川は中流部は完全に伏流していて、いつも干上がって見える。しかし、上流部は豊かな森を縫って、目の痛くなるような透き通った水の流れる渓であるという。
 実はここ大蛇尾川上流部はニジマスの渓だ。昔放流されたものが自然繁殖して世代交代し、現在まで生き残っている。以前は取水堰堤上流はニジマスだけだったらしいのだが、最近では誰かがイワナを放したらしく、混生となっているらしい。

 最近では珍しい荒れた林道を、落ちている岩を避けながらデリカ スペースギアが走る。いろいろあって車止めに着く頃には、すっかり日が昇り明るくなってしまった。
 首都圏から近い栃木であり、おまけに3連休とあっては、釣り人が居ないほうがおかしい。案の定、車止めには2台の車がいた。
 「これじゃあ取水堰堤より上はダメだな。よし、ここから踏み跡で大滝の下に出て、そこから釣り上がるぞ」という川上顧問の言葉にしたがい、4人は車止め手前の踏み跡から下降をはじめた。踏み跡沿いには山椒の木が沢山あり、山椒の香りに包まれながら下降した。

 大蛇尾の林道はかなり高いところを通っていて、途中から降りられる道はほとんど無いらしい。林道からは渓は全く見えず、もちろん流れの音も聞こえない。渓までは300mはあるだろうか。
 踏み跡がハッキリしていたのは最初のうちだけだった。下降するにつれ判然としなくなり、ついには消えてしまった。「ほんとにこれって渓まで行けるのか?」と疑問に思いながらも、急な斜面をゆっくりと降りていく。ザックの重さが肩にズシりと掛かる。

 すでに消えてしまった踏み跡を探すのは諦め、潅木に捕まりながら、ガレと腐葉土のミックスされた斜面を黙々と時にズリ落ちながらも進んでいく4人。降りても降りても流れの音すら聞こえてこない。
 「落っ〜!」カラン、カランと音を立てながら石が落ちてくる。小さな石でも直撃されたら流血だ。当たり所が悪ければ三途の川で釣りすることになりかねない。足を踏み出すときは慎重にも慎重を期して、確認してからである。

 いったいこの斜度は何度あるのだろうか。今までで最悪の斜面だ。木もまばらに生えているだけで、場所によってはブナの幼木しかなかったりする。そいつを2,3本まとめて掴んで「頼むから抜けないでくれよ」と祈るような気持ちで足を下ろす。

 そんなことを2時間も続けただろうか。渓まであと100mほどのところまで来た。そこから渓に向かって右にトラバースしなければならなくなった。その手前まで腰を下ろして休めるようなところも無く、脚にはかなり疲れが溜まっている。
 川上顧問がルートを開き、トラバースして小尾根に取り付いた。次に荻野さんが行く。ヒョイヒョイっと行けるようなところでは無いので、後続は待っていなければならない。躊躇していた高橋さんが動き出した直後のことだった。最初、パラパラパラという音が上のほうから聞こえてきたと思った直後、ガーンガーンという大きな音とともに、一抱えもあるような岩がもの凄い速さで落ちてきた。
 「高野〜、逃げろぉ〜」と言う川上顧問の声が聞こえた気がした。列の最後にいた私はあわてて右に走った。今考えると、どうやってあの斜面を走れたのか分からない。10mも走っただろうか、直ぐのところにあった木の陰に入るのが精一杯だった。1秒もしないうちに、それまで私の立っていた辺りを岩が転げ落ちていき、遥か下のほうで「ドッシャーン」とでも言うような大きな音が聞こえてきた。

 恐怖に膝はブルブルと震え、立っているのがやっと。あの岩に直撃されたら間違いなく即死だろう。高橋さんと二人でホッと胸を撫で下ろす。

 そこから数10m下降し、ようやく渓が木々の隙間から見えるような場所まで辿り着いた。そこは小さなテラス状になっていて、どうにか4人が腰を下ろすことができた。しかし、そこから見える斜面は下のほうでスッパリと切れているようである。ザイルはもっているが30mしかない。1ピッチで降りられないとなるとやっかいだ。
 川上顧問がザイルを持って偵察に向かう。希望の持てるような答えが返ってくればいいのだが、世の中甘くなかった。どうやらここからは降りられないようである。下に行けなければ上に登るしか道は無い。トラバースしても緩い傾斜のところは無さそうだった。
 「林道まで登り返すのかよ。250mはあるぜ。」降りられないと分かったとき、川上顧問以外の3人の落ち込みようといったら・・・。特に源流初体験の高橋さんは、それは悲壮な顔をしていたと思う。「林道歩き1時間半くらいで入渓できますよ。」なんて言ってあったのだから、まさか掴まらなくては立っていられないような急斜面を250mも降ろされるとは思ってもいなかっただろう。ましてや初めて重たいザック背負うのだ。普通に歩くのだって大変だろうに。
 だけどここまで来てしまったからには仕方が無い。歩けませんと言っても誰もおぶってはくれない。自分の足で登るしかないのである。しかし、ここまで降りてくるだけで体力の殆どを使ってしまった。果たして無事に林道に出られるのだろうか。

 川上顧問の先導で涸沢を登り始める。今までのようにズルズル斜面でないので幾分楽だが、こことて落石の危険はあるし、何よりも垂直の岩登りの連続だ。この辺りの岩は脆く、手がかりにしようとすると、ボロッと取れてしまったりもする。それでもジリジリと高度を上げて、ようやく樹林帯に逃げ込んだ。
 見上げると森が切れて明るくなっている所が見える。あそこが林道だろうか、頼むから林道であってくれと残り少ない体力を振り絞り、あと少しのところまで来た。「もうちょっとだぞぉ」と川上さんの声がする。
 最後の木に捕まり体をズリ上げると、そこは尾根の上だった・・・。ガッカリしてどっと疲労が出た。
 いったい林道はどこなの? 


 そこから尾根を伝って、ようやく林道に抜け出たのは12時半を回った頃だった。

 上がった場所は車止めから5分のところ。それを延々6時間も掛けて歩いてしまった。ようやくホッとして一息いれようとすると、「こういうところは歩きながら休むんだ」と川上顧問はスタスタと歩きだした。まったく鬼軍曹なんだからぁ。(酷い人だ。今後、少し考える。なんちゃって)

 疲れた体に鞭打って、林道をフラフラと2時間弱歩いただろうか。林道はやがて細い踏み跡状になり、ジグザグに渓に向かって下り始めた。森を抜けると突然取水堰堤が現れた。
 「やった、ようやく着いた」と渓に降りると同時に雨がシトシトと空から落ちてきた。早速、タープを張って大休止。朝からほとんど食べていなかったので、かえって食欲もわかない。それでもオニギリを詰め込み、テン場を探しながら釣り上がることにした。

 話には聞いていたが、水は限りなく透明に近く、冷たい。栃木にもこんなに良い渓があったなんて。以前雑誌に全日本暇人協会の下田会長が、大蛇尾のことを書いていたのを読んだことがある。そのときから頭の片隅に「いつか準天然のニジマスのいる大蛇尾に行ってみたい。」という思いがあった。数年かかってようやく実現できた夢だった。
 しかし、美しい渓と水とは裏腹に、魚は私の餌には食いつかなかった。唯一、高橋さんが3連荘でバラしただけ。そのうち1尾はアワセ切れするほどだから大物だったのである。
 実は高橋さんの本職は板前さん。ひそかにニジマスの活造りを期待していたのだが、材料が釣れないことにはいかに板さんでも料理のしようが無い。今夜は魚無しで我慢しよう。


 時間的にも4時を回っているので、ここらで泊まりましょうと川上顧問に声を掛けると、「じゃあ、ちょっと下にテン場になりそうなところがあるから」と数分戻り、さっそく整地してタープを張り、マキを集める。
 寝床はちょっと傾斜してるが、場所的にとっても良いところだ。大岩を利用して焚き火用の天幕を張ったので、雨が降っても焚き火を囲んで宴会できるのだ。渓に来て焚き火が出来ないと3割は損した気になるのは私だけではあるまい。


 板前の高橋さんはKgあたり8000円の高級肉を持ってきてくれた。それがまた美味い!高い肉は美味くて当たり前だが、私みたいのが焼いたら台無しにしてしまうだろう。だが、さすがはプロ。焼き方も絶妙で肉の美味さがいっそう引き立つ。こんな美味い肉、家でも食ったこと無いぞ。
 宴会はまだまだ続き、次から次へと美味しい料理が出てきたが、相変わらず私の料理?は不評だった・・・。

 相当疲れたのだろう、高橋さんが一番にダウンした。続いて川上顧問。荻野さんと私も9時すぎにはシュラフに潜り込んだ。明日の大漁を夢見て・・・。


 朝は寒くて目が覚めた。眠い目をこすりながら、カシオプロトレックの文字盤を見ると、まだ5時前である。皆はまだ寝てるだろうと体を起こすと、なんと荻野さんが焚き火を起こしていた。
 ゴソゴソと起き出し焚き火に当たり、タバコに火をつける。ウダウダしてたら、思ったとおり釣り人がやってきた。「先に行っていいですか?」と聞くので「どーぞ、どーぞ」と気前良く返事する。二人はまだ夢の中なのでとても釣りには出られない。

 9時くらいに支度を終えて、4人は上流に向かった。先行者がいるから釣果も期待できないだろう。1尾くらい顔を見られればいいや、くらいの気持ちで(他の人はどうか知らないが)出発した。
 思ったとおり私の腕では、スレた魚は相手にしてくれないようだ。唯一高橋さんだけがアタリを出している。これも初めての源流で死ぬほどの苦労をしたので、渓の女神がご褒美をくれたのだろう。


 大岩を乗り越したところで他の人の釣りを眺めていると、何やら声が聞こえた気がする。よくある空耳か、はたまた渓の魑魅魍魎か。耳を澄ますと又聞こえた。どうやら高橋さんらしい。
 あわてて駆けつけると、綺麗なニジマスを釣っていた。
 
 「これがこの渓で生まれ育ったニジか。」


 ニジマスというと釣堀にいるウロコの剥げたヒレの丸いキッタナイのしか見たことがない私は、その輝く虹色とうっすらと残るパーマークに目を奪われた。普段は外道のニジマスだが、この渓のは外道と呼ぶにはあまりにも失礼な綺麗な魚だった。


 深い谷底を美しい渓水の流れる大蛇尾川。梅雨空は最後まで晴れなかったけれど、なぜかこの渓は雨に煙っているのが相応しいような気がした。この雨が上がるときには、渓にはきっと美しい虹が掛かるのだろう。



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