春真っ盛りの4月10,11日に、渓道楽恒例の初釣行会が行われた。行き先は湯野上温泉を拠点にした阿賀川水系の支流群である。
昨年の禁漁日以来、耐えに耐えてこの日を迎えた会員が多いせいか、総勢17名の参加希望があった。うち3名が当日になっても時間の調節がきかず無念のリタイヤをしたが、それほど「会津大川」(阿賀川の地域名)は釣り欲をかきたてられる川であったのだろう。中には、何を間違えたのか、肝心の竿を忘れてカメラだけしっかり持って参加した会員もいたが、それなりに初釣行を楽しんだようだ。かくいう私も、市議会議員選挙の不在投票を前日に済ませて、馳せ参じた。一年ぶりに再会する人のびんに白いものが増えているのを発見して、確実に年取っていくことを実感した二日間でした。
さて、川上顧問、近藤会員、伊籐隊長、私の4人をメンバーとする班は、土曜日の午前3時に川上邸にて集合。それ以後は顧問の案内で、会津大川の支流群を目指すことになった。当初、顧問の案内だから「源流域の遡行」を覚悟していたが、顧問が8Mの本流竿を車に積み込んでいくのをみて、いくら何でも初釣行日に残雪のある川を遡行しにいくわけはないわなと、安心した。
なんでも、以前いい思いをした川をいくつか知っていると顧問は言う。しかし、以前と言っても、二〇数年前の話である。今もウジャウジャいると思う方がよほどおめでたいと思うが、渓流界では泣く子も黙るお方である。綸言汗の如し、いや、顧問の一言で「大物」を釣り上げることができて、随喜の涙を流した人を私は何人か知っている。従って、修業の足りない私はゆめ疑うべからず、ここ掘れと言われればワンワン付いていくしかない。そうして期待感に胸を膨らませた我々は、会津を目指したのである。
走る車中でうつらうつらしながら車外にふと目をやると、うっすらとした明かりの中で川が道路脇に流れているのが見えた。後で知ったが、「小野川」である。時間は午前6時前。車が止まっているのを何台か見たから、釣り人がすでに一杯入渓しているのだろう。顧問は上の堰堤へ行けばでっかいのが釣れるというから、上流へ行くことにした。着いてみたら、何だよ!コンクリートで綺麗に護岸されたダムみたいなところではないか。水路の落ち込みに大物がいるというが、釣れたのは腹の黄色い七寸の岩魚1尾のみだった。釣り人の性というのは釣れなければ上流へ上流へといくものだ。こうやって何十年の間にここの流域が荒らされて魚影が薄くなったと想像するに難くない。それに、あのコンクリートの護岸である。渓流魚が長く棲息できる環境ではないなと、あきらめて次の釣り場へ移動した。周辺の支沢にも足を延ばしたが、近藤会員に待望の岩魚が三尾きただけで、私の方はアタリすらも出なかった。
次は大川ダム下にある本流であった。流れを一見して、こりゃ8M竿でも歯が立たないなと思った。それほどに幅も水深もあり、流れも雪代が入った分太くなっているから、本流釣りの条件としては悪いと思った。しかし、釣れなければ釣れるように考えるのが釣り人の腕だと自らを鼓舞して竿を出すも、結果は無惨だった。私は多摩川をホームグランドの一つにしているが、いくらやっても本流釣りは難しいと嘆息する。(と言っても、解禁時はまあまあの数が釣れたけどな)
昼頃になって鶴沼川へも竿を出してみた。本流ながらも渓相はいい方だったから釣れる予感がしたが、不思議と魚信が全くと言っていいほど出て来なかった。下流の方を攻略した近藤会員は三尾も物にしたというのに、何という体たらくだ! 腕が悪いのか、それとも運が悪いのかわからないが、何だが、ハムレットの心境である。何しろ、彼は5Mの短い竿でチョイチョイ釣ったというから、憮然とせずにはいられない。この機会に、本流=長竿の細仕掛けという固定観念は捨て去るべきかと思う。
昼の二時に「新湯館」に一番乗りで到着。チェックインがこうも早過ぎると、私みたいに釣りするためだけに来ている「お客様」は、手持ちぶさたで困ってしまう。しようがないから、眼下に広がる大川周辺を散策することにした。橋を渡ると鉄道が走っている。それを渡って下るにつれて、大川のとうとうたる流れが目に飛びついた。左手前の岩場に無料の露天風呂があって、数人の男共が湯船に浸かっているのが見える。その脇の斜面に張り付いて、一人の男が普段着で釣り糸を垂れている。釣れるかどうかはさておいて、面白いコントラストだなと思った。
渓道楽会員一同が集合しての宴会は、毎度ながら和気藹々したなかで進められたのはいうまでもないことだが、何よりも飯がうまかったのは、最大限評価してもいいと思う。私自身もいつもより酒が進んだようで、酔ってしまった。肝心の大物賞は?って、ここで紹介するのはしゃくだから、はしょることをお許しいただきたい。私は渓道楽の設立趣旨に賛同する者として、渓流釣りに「ゲーム性」を持たせることには、常々疑問を持っている。釣れていなくとも、何らかの恩恵を自然から受けるのであれば良いではないかと、大物賞とは万年無縁のマイノリティの立場から異議申し立てをする次第である。
翌朝は快調に目覚めて、昨日目を付けておいた土手で、「つくし狩り」をした。ビニール袋一杯の収穫になってホクホクしていたら、顧問をはじめみんなは「食わない」と言う。どこでも取れるし小さいしハカマを取るのも面倒だから、なかなか食指が動かないものらしいが、「春の山菜の女王様」の名にふさわしく、卵とじにしたり甘辛の佃煮にしたりしたら絶品なのに、何で食わないのだろうと不思議に思う。要するに、たで食う虫も好き好きということか。
この日もまた別の川へみんなで行くというというから、朝飯をたらふく食って楽しみにしていた。一度行った道をなかなか覚えられない方向音痴の私には、どこを走っているのか皆目わからなかったが、幅が広くのどかな流れを見せている川が見えた。水無川である。いかにも「里川」という風景だが、至るところに「フライフィッシング専用区」の看板が立っていて、餌釣り主体の我が班はお呼びではないようだ。しばらく走っていくと、前方にチョロチョロと細い流れが横切っている。そこで車を止めて、水無川上流と支沢の班に分かれて竿出すことになった。私は顧問の薦めで支沢を選択したが、いざ入渓してみると細い流れに関わらず、高い堰堤が続いてそれをよじ登るのに汗だくだった。木にぶら下がって懸垂登攀したところもあって、しまいには腕がくたびれてしまった。
細い流れは釣りにならないから、もっぱら堰堤下のプールのみをねらったが、やっと四番目あたりの堰堤下で、ゴツゴツとした重いアタリが出て、ちょっとサビのある岩魚が顔を出してきた。目測で23、4センチはあったと思うが、こんな貧相な川で懸命に生きてきた岩魚の健気さに心打たれて、魚体を愛でつつリリースしてあげた心優しい私であった。と言いたいところだが、実際のところ、なぜリリースする気になったのかは、自分でもわからない。もしかしたら、「山釣幽玄」の境地とはそういう心境を言うのかなと、いつかは渓語りの翁に話を聞いてみたいものだと思う。まだ時間があるから上の方を目指したが、段々流れの色が変わり10センチ下の川床も視認できないぐらい濁ってきたのをシオに、納竿した。
帰路は、日光街道のとある飯屋で「辛大根」のおろしをタレにしたそばを食したが、美味であった。甘ったるいツユに辛い大根おろしを大量に入れると、ちょっといい按配の味具合になって、いくらでもそばが食えてしまうのである。それに山菜の天ぷらも美味かった。特に「ふきのとう」の天ぷらは、何か製法に秘密があるのか、「苦み」があまり出てないから、余計うまいのである。川上顧問が日本酒を含んでそれを食した瞬間の「至福の表情」は、忘れられない。単なる大酒飲みかと思ったが、基本的にはグルメだということを再認識した時であった。
その「ふきのとう」のことだが、会津ではどこに言っても、つぼみが開ききってしまったものが多くて、収穫にならなかった。私もねらっていただけに残念だった。温暖な冬が続いていた影響もあったと思うが、もう少し早い時期に来ていたら、釣れなくとも山菜取り放題でウハウハした気分になれただろう。しかし、つくしが取れたから良しとしなくては。とにかく、今回の初釣行会は、二日間とも好天に恵まれたこともあって、会員各自各様の思いで楽しめたのではないかと思う。
この原稿は14日の夜に頼まれたものだが、欲を言えば、事前に釣行記を書くとわかっていたならば、つくしの料理写真も含めて、多くの写真を取れていただろうに、結果的につまらない写真ばかりになって残念に思う。
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