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鉄砲水の残骸 |
日本列島が連日記録破りの猛暑にあえいでいる頃、新潟、福島、福井各県に豪雨による川の氾濫で甚大な被害があったことは記憶に新しい。しかし、災害の怖さというものは、惨状を目の当たりにしないと我が事のように実感できない。自分達もこうして只見川水系の某沢に立ってみると、自然のすさまじい破壊力には慄然とする。目前に広がっている鉄砲水の爪跡を見れば、誰でも息を呑むだろう。両岸が抉り取られて無残な地肌をさらし、大小の岩塊が無数にゴロゴロしている中を、樹が何本も根本までこそぎぬかれた姿で絡まっている光景は、かつてここが清冽な渓流だったという名残はどこもない。チョロチョロと細い線となって下を流れている灰色の水で、かろうじて川だと知るぐらいである。
災害はいつ来るか予測がつかないから、ホントに怖いと思う。それでも、源流遊びが止められない性分とあらば、ああいう惨事に遭遇しないように、日頃から危機を事前に察知する動物的カンを磨いておかなければならないなと思う。どう磨けばいいのかわからないが、まず、状況判断を的確に下せる頭と機敏に動ける体力ではないだろうか。
今回の釣行はお盆休み恒例の単独行(正味二日間)ではあるが、最終日は顧問一行がたまたま同じ只見地域の某沢へチタケ採りがてら釣りにいくというから、合流させていただいたというより強引に割り込ませてもらったのである。冒頭の記はそのときの感想である。
さて、お盆休みは3年連続奥只見地域の源流へ釣行したことになる。実は昨年の「黒谷川の明と暗」の報告にあるように、自分にとって只見方面は「鬼門」だと思っていたから、当初行くつもりはなかった。しかし、私の限られた情報からでは、こういう時期に「釣れる川」を探すというのはむずかしい。顧問にお伺いを立てる手もあったが、顧問の紹介する川は、釣れることを条件に入れれば一人で楽々行けるところはあまりないし、いわゆる「川上時間」(※1)のせいで日が暮れて遭難騒ぎになるに違いない。
(※1)川上時間・・・川上顧問の山や渓を歩く速度は常人の1.5〜2倍速い。その速度を基準にした歩行時間。
それと、最近、殺人者との遭遇(※2)、発砲騒ぎ、落石など、不吉な話を次々と聞かされた私は、暗くて峻険な渓に一人でいくことには、臆病になってしまった。だから、単独で行けて草場があり、ひたすら明るい川はどこか探してみた。昨年はアブにも懲りたからそれも考慮したのは勿論である。で、以前何度か通りかかったこともある館岩川の支流を二つ選んだ。それらの支流ははっきり言って、どこのガイドブックにはあまり紹介されていない。ネットでもヒットする数はホンのわずかしかないという不人気ぶりである。だからこそ、「天の邪鬼」の私は「釣れるんじゃないか」というインスピレーションが働いたのである。本流からの遡上を期待してのことだが、根拠なんてないから、今思い返すとコケの一念であった。
(※2)殺人者との遭遇・・・月刊つり人 2004年8月号 釣り人たちの九死に一生スペシャル 掲載
埼玉からトロトロ走って館岩村に入ったのは13日の午前1時であった。ふと道路脇に立っている気温表示板を見ると、驚くなかれ「13度」の数字が映っていた。車内のエアコンが普段よりも効きすぎるなと思ったが、道理で冷えるわけである。車中泊して朝を迎えたら、その寒さがハンパではなかった。まるで4月並みである。Tシャツ一枚では寒すぎた。その調子だとアブは出ないなと安心するが、実際出なかったのである。
支流出合いのところにある民家で入漁券を購入してから、目的の支流に入渓してみたが、渓相は一言でいうと、「気分がいい源流」。適当に草場があって落差もあまりないせいか遡行が楽だし、源流域にあるのは間違いないから、ひんやりとした涼風を受けながら苔むした石を渡るだけで、源流気分が味わえるというのも実にいいものである。おまけに、竿さばきに神経を使うボサ場が少ないものも気に入った。こういう余計なことにストレスを感じないときの釣りというのは、自分の経験上いい釣果が期待できると思った。
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清々しい早朝の川 |
小さい沢の魚止め |
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良い型の岩魚は見飽きない |
いいポイントだなと思うところへ竿を出すと、期待に違わず、岩魚が次々と鉤に掛かってくれた。中でも28センチ級を釣ったときのブルっとした竿先の感触は、忘れがたい。鉤に掛かった瞬間、落ち込みの方へ逃げようとするところを、竿のためを利用してこらえているときの気持ちをなんと言ったらいいのか、そうそう「岩魚と戯れる」という気分だった。引きを十分の楽しみながら寄せるというのは、鉤掛かりしたらすぐさま引っこ抜くスタイルの源流釣りとしてはあるまじき行為かもしれないが、私はこれがたまらなく好きである。
朝7時から4時間あまりの釣行でチビ岩魚を含めれば7尾というのは、最近にない良い釣果だなと満足を覚えた。自然と別の支流へ移動する足取りが軽くなっていくのであった。その支流は流程が短いためか、支沢が一つもない川なのである。普通だったら釣り欲の湧かないところだが、落差がない分、館岩川本流からの遡上魚が出やすいのではないかという手前勝手な思い込みで、入渓してみたのである。やはり、中流あたりで22センチほどの山女が掛かってきた。それまで14センチの岩魚が2尾釣れてきたから、ここで山女が釣れるとは思わなかった。久しぶり(多摩川の解禁時以来)に見る魚体を愛でつつ川に戻したが、気分はルンルンであった。4時になって納竿したが、釣り技がうまいとは思っていない自分なのに、一日の釣果としてはこんな「爆釣」といっていぐらいに上出来であったのは、かえって戸惑いを覚えてしまう。明日がまたあるのに、「運」を使い果たすことになりはしないかと思う。
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穏やかな渓は気持ちを和ませる |
28cmの岩魚に思わず喝采! |
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もう一つの沢の魚止め |
こんなでかい木瘤は珍しい |
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今釣行唯一の山女にほれぼれする |
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こんな小さい沢にも生命が・・・ |
その夕方只見町へ走っていくと、あちこちの民家の軒先に何かを燃やしている火を見かけた。最初は焚き火かと思ったが、何度も目にすると「ああ、盂蘭盆で祖先の霊を迎えているのだな」と思い当たった。いわゆる「迎え火」である。人影が見えないから、地域の風習を知らない若者が夜の道を走っていたら、ギョッとするに違いない。釣りで遠出すると、こういう異文化に巡り合えるのは楽しみの一つになっているが、最近は都会化の波が村にまで浸透しているせいか、新鮮な驚きを体験することがますます少なくなっていくのは、寂しいかぎりである。
翌日は川上顧問を引率者(その言葉を使ったのは学生以来だな)とする、チタケ採り主体の釣行である。詳細はおぎんちゃんの釣行記で丁寧に紹介されているから、ここは割愛させていただくが、チタケ採りの感想だけを報告しよう。
実を言うと、「チタケ」なるキノコを触るのも食するのも、生まれて初めてである。他のメンバーは幾度か経験があり、顧問からレクチャーも十分に受けているのか、慣れた格好でせっせと採集していた。自分はこれまで「釣り道」を探求してきたために、山菜やキノコに目覚めたのは最近という「奥手」である。従って、どこに生えているのか目をこらして探したのだが、なかなか見つけることができなかった。赤いのが見えたと小躍りして近寄ってみたら、落ち葉だったりで、いやになってきた。何とか他のメンバーの手助けで収穫することができたが、数は昨日の釣りほどでもなかったから、みんなに笑われてしまった。一番多く収穫したのは顧問だが、新聞の文字がまったく見えないというのに、遠いところから目ざとく見つけてしまう眼力には、恐れ入る。
チタケを採った第一印象は、手にすると傘がボロっと崩れてしまったから、こんなものが食用になるのかという疑問であった。茎のところをポキっと折ると、白いネバネバした液が出てきた。それが名前の由来だと知ったが、匂いを嗅ぐと、昔飲んだことのある「山羊の乳」に似ている。大きいのになると5センチ大のものがあったが、総体的にいうと、今年の生育はいい方だという。昼飯時におぎんちゃんが天ぷらにしてくれたものを食してみたが、おいしかった。そばつゆに付けてみたものも試してみたが、これもおいしかった。
しかし、天ぷらというのは基本的には、どういう素材であれ、おいしく頂けるものだから、チタケ本来のうまさとは言えない。顧問が油炒めにしてもうまいというから、我が家へ持ち帰って自分で調理してみることにした。マイタケやシメジのように強火でざーっと炒めて最後に牡蠣油を垂らして出来上がり。さあ、試食と口に入れたとたん、なんだこりゃと疑問符だらけの不味さであった。その味は例えて言うならば、油が染みついた紙と言ったらいいのか、とにかく味がなく、茎の部分はサラサラした食感で食えたものではなかった。どこが栃木県人が泣いて喜ぶ味だというのか、また、10本2000円で出回っている高級品だというのか、訳がわからなくなってくる。
顧問に文句を言ったら、「油を十分に吸わせて、黒くなるまで炒めるのだ」ということだったから、またそのように調理してみた。そうしたら、表面が油でギドギドした黒いキノコになって出来上がった。これでは素材の良さがわからなくなっているし、コレステロールを気にしている身にはためらいを覚えるが、食してみないことにはどういう味かわからないから、思い切って口に入れてみた。なるほど濃厚な味が出ていて、多少はおいしいと感じる。しかし、胸焼けしそうで、たくさんは食えなかった。本来は「だし汁」用に煮た方が味の出るキノコだと思うが、やはり、個人的にはキノコと言ったら、マイタケかシメジの方がいいなと思う。
話が前後するが、チタケ採りが終わった後は近くの保養センターで温泉に浸かってしばし休息。その後、東北道で帰る他のメンバーと別れて、自分だけ関越小出インター経由で帰路に付いた。雨中のドライブで疲れてしまったのか、SAで不覚にも深い眠りに落ちてしまい、帰宅は日が変わった午前2時になってしまった。ちょうどその時に、テレビドラマ「冬のソナタ」が始まっていた(謎爆)。
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